2024年5月26日

巣鴨で文鹿その10〜桂文鹿・神田伊織二人会@西巣鴨スタジオフォー



三ヶ月に一度のお楽しみ。今回のお相手は新作講談が話題の神田伊織さん。芸協らくごまつり、大相撲千穐楽、日本ダービーとイベント多い中、この巣鴨の秘密クラブを選ばれたお客様が真の愛好者とはこの会の主催者花谷さんの弁。

今回は初めて高座に後幕がかかりました。寄席の高座というよりお座敷を模した芝居の書割のような上方らしい後幕(上方は真打制度がなく、また襲名もあまり活発ではないので、後幕は故名人の○周忌追善とか演者の芸歴○周年とかの節目に造られることが多い。文鹿師は今年芸歴三十周年)。



一、さわやか回転寿司 文鹿

4月1日から26日間、新作落語の創作のために5年ぶりにインドに行かれた文鹿師、現地で20本書き上げて帰国後に順次ネタおろしを始めたが、インドで造った新作も合計で160本を超え、これからはネタおろしに平行してこれらに磨きをかけていこうとのこと。インドからの帰国途上、ニューデリーの空港で足止め(乗る予定の便がなんと早発)を食い、空港のカウンターで係員と大バトル。ラチがあかないので近くにいた日本人(後で聞けば京大卒の伊藤忠商事の社員)の通訳とスマホの操作でようやく後続便の手配して、予定より半日遅れでようよう帰国、出演予定の落語会に穴を空けずに済んだ…というほとんど一席分のマクラから、おなじみ阪下クンと「先輩」が回転寿司で巻き起こす騒動を描いたさわやかシリーズ屈指の爆笑編へ。


一、月光の曲 伊織

「文鹿師匠がインドの話をたっぷり語られたので、私はドイツのお話を…」ということで、若き日のベートーヴェンの「月光ソナタ」創作にまつわる逸話。実はこの話を含めベートーヴェンの数々の「楽聖伝説」は、90%が弟子のシントラー(作品がほとんど残っていないことから弟子というより譜面の浄書など秘書のような役割だったらしい)によって改竄・創作されたもので、この逸話自体ボンではなく本来ヴィーンでの話で(ベートーヴェンは22歳でヴィーンに行って以来一度もボンに帰っていない)、また内容もシントラーの創作を伝記作家が脚色したもの。とにかく今では完全に否定された「楽聖伝説」です。

良くもまあ令和の今にこんな話を作ったな…と後で訊いたら、明治の尋常小学校の教科書にシューベルトの「未完成」の逸話(例の「我が恋と同じくこの交響楽も終わらざりし」)とともに採用された「月光の曲」を当時の講釈師が講釈に仕立てたもので、3月の伝承の会でいちかさんが読んだ「維納の辻󠄀音楽師」と同様「日本人が西洋文化に無邪気に憧れていた」明治時代に創られた作品、ということか。

伊織さんもそのあたり百も承知で、ボンの街をまるで江戸の街のように仕立てたり、いろいろアレンジして遊び心もあって楽しい高座になりました。

(あらすじはこちら)



一、立ち切り線香 文鹿

「巣鴨で文鹿」と名付けられた会ですが、今まで3回聴いたこの会ではむしろお相手の引き立て役に回って中ネタをかけることが多く、またお相手が熱演することが多かった(2023年3月春陽先生「赤垣源蔵」、同年8月べ瓶さん「錦木検校」、今年2月貞弥先生「は組小町」)。そのため文鹿師の高座の印象が若干薄くなるきらいがあったが、今回は芸歴三十年を迎え何か思うところがあったか、上方噺屈指の大ネタ「立ち切り線香」を持ってきた。無骨で男臭い語り口の文鹿師にはどうかな?と思ったけれど、そこは「はんなり」を売り物にした五代目文枝一門の末葉、素晴らしい「立ち切り」でした(最近は「立ちきれ」という題で演じられるが、「立ちきれ」だと途中で消えることになるので、線香が燃え尽きるなら「立ち切り」が正しいとのこと)。前半の若旦さんと番頭との対話は文鹿師の語り口が生きて迫真、一転後半のお茶屋では小糸の母親でもある女将が語る小糸の末期が胸に迫る。そして地唄「雪」が…お囃子がいない巣鴨でどうするのかと思ったが、同じくお囃子がいない会場で演るために持ち歩いていたCDを使った。後で聞いたら「生だとお囃子さんがこっちの語りに合わせてくれるけど、CDだとこっちがCDの尺に合わせないといけない。そのあたり難しい」とのことだが、尺が腹に入っているので間もピタリ。上々吉。


お仲入り


一、対談 文鹿・伊織

東大大学院卒の伊織さんが大谷大学文学部卒の文鹿師にイジられまくる。落語界に比べ大卒者が多い釈界だが意外にも東大出は伊織さんが唯一。伊織さんの「辻󠄀講釈」の話から上方落語の祖とされる米沢彦八の「辻󠄀噺」を現代に再現している笑福亭鶴笑師の話題へ。文鹿師と月亭天使さんで7月に「笑福亭鶴笑に米澤彦八を継いでほしい人たちの会」を開くという告知で締め。





一、吃の又平 伊織浄瑠璃「傾城反魂香」上巻「土佐将監閑居の段(通称「吃又」)」が六代目菊五郎により名狂言となったために、講釈の「吃の又平」は廃れてしまい、演じ手も途絶えていたのを改めて古い講談本から伊織さんが掘り出した一席。浄瑠璃の「吃又」とはほとんど別の展開で、師匠の名前も史実の通り土佐光信になっている。伊織さんは新作講談とともにこうした埋もれた本の掘り出しもライフワークとしていて、自ら掘り出した話とあって素晴らしい出来でした。上々吉。

(あらすじはこちら)



次回は8月25日、お相手は二回目の春陽先生です。