2024年2月25日ダブルヘッダー

➀巣鴨で文鹿その9〜文鹿・貞弥ふたり会@西巣鴨スタジオフォー



三ヶ月に一度、文鹿師が巣鴨にやってくる。毎回ふたり会で東西の噺家や東京の講釈師との競演になります。今回の貞弥先生とは早くも三回目の顔合せ。先日は大阪動楽亭でも二人会を開催、好評を博したばかり。



一、祝いの壺 文鹿

学生時代に広島行きの夜行バスの中で聴いた一席の落語、それが文鹿青年を噺家にした。その時は誰の何という噺かもわからずCDを漁ること数カ月、それが米朝師匠の「祝いの壺」という噺であることを突き止める。「米朝珍品集」というCDに入っている「祝いの壺」を丸憶えにしたものの、稽古を付けてもらっていないので高座にかけることはできない。噺家になって20年経って、きちんと稽古を付けてもらおうと思った時には米朝師匠はすでに寝たきり状態。唯一米朝師匠から稽古を付けてもらったという小米師は鳥取在住、周りには後輩の桂吉坊さんしかいなかった。そこで吉坊さんに稽古を付けてもらって晴れてネタおろしとなったが、それを聴いた団朝師が血相変えて楽屋に怒鳴り込んで来た。事の次第を説明すると一転、「どんどん演りなはれ」ということになり、団朝師の世話で寝たきりの米朝師匠に一度だけ聴いてもらったりと貴重な体験を積み重ねて、今こうして持ちネタにさせてもうてます…というマクラから本編へ。

「祝いの壺」は「祝いがめ」ともいい、東京ではストレートに「肥がめ」という(放送などで出すときは「家見舞」とすることもある)。上方版では肥がめを持ち込んでからより道具屋で肥がめを買うところや買った肥がめを神社の手水で洗うところなどにウェイトが置かれ、肥がめを持ち込むのも馴染みの芸妓が出した店の開店祝い。ということになっているなど差異がある。

(あらすじはこちら)













一、男の花道(名医と名優) 貞弥

貞弥先生の講釈の登場人物はとにかく今を懸命に生きている。そこに友情や報恩などの絆が絡み合って大きな感動を呼ぶのです。今回の「男の花道」も三代目歌右衛門の眼病を直した名医だが貧乏な半井源太郎との絆とそれを応援する江戸の見物衆の心意気が聴く者の胸を突きます。



一、さわやか路線バス 文鹿

鉄で飛行機マニア、バスマニアでもある文鹿師、病膏肓で路線バスの運転体験会に潜入レポートまでやったそう。その時の爆笑体験談をマクラに、新人運転手の営業デビューの大騒動を描く「バス版船徳」で大爆笑でお仲入り。


お仲入り


一、トーク 文鹿・貞弥

高座に上がる時のルーティンについて。文鹿師は横綱朝青龍の取組前のルーティンを参考に帯を三回「ポーン」と叩いて高座に上がる。ある時朝青龍がルーティンをしようとすると対戦相手の高見盛が例の「ロボコップ」で場内を沸かせてしまい、調子を食われた朝青龍はルーティンができずに取り組み、結果高見盛に大金星を献上してしまった。それくらいルーティンは重要なのだなあ。

一方貞弥先生は軽く数回ジャンプして身体をほぐして上がる。そうしないと読んでいるうちに身体が固くなって講釈の流れが悪くなってしまうという。



一、は組小町 貞弥

一昨年に風子さんが「落語八百席」で蘭先生から習ったという「は組小町」を講釈で読んだのを聴いて非常に感銘を受けた。本家の蘭先生のを聴きたいと思ったが、なかなか聴けずに一年が過ぎ、今回思いがけなく貞弥先生で「は組」を聴くことに。「一席目は恩返しのお話を読みました。そこで二席目は仇討ちのお話を。というと義士伝ということになりますが、今日は女の仇討ちのお話です…」に「あ!」と思ったら待望の「は組小町」。いやあ、泣けました。纏持ち源次と結ばれた幸せも束の間、恋敵い組の三五郎に「炙られた」源次の無念の死、今際の際の「炙られた」の意味を知ったお初の悲嘆と怒り、源次の形見の半纏と頭巾を着けて三五郎を炙り返して仇を討ち、自らも源次の後を追ったお初を讃えて看取る父源右衛門…全てが胸に迫って場内でもあちこちですすり泣き…上々吉の「は組小町」で御令刻。



次回の「巣鴨で文鹿」は5月、お相手は意欲的に新作を発表している神田伊織さん。「さわやか」vs「新作偉人伝」がスパークします。