2023年9月24日
巣鴨で文鹿その7〜文鹿・べ瓶ふたり会@西巣鴨スタジオフォー


3月(春陽先生)、6月(貞弥先生)と講釈師との二人会が続いたこの会でしたが、今回は東京に拠点を移し寄席出演や独演会などで活躍、YouTube「落語の東西〜笑福亭べ瓶でっせ!」も好評の笑福亭べ瓶さん。生の高座を聴くのは初めてです。

一、提灯と唐傘の恋物語 文鹿
コロナ禍前にインドで「エロティックな噺で場内が引かないようにするにはどうしたらいいか」と考えた末にたどり着いたのが「擬人化」。人間ならざるものの対話にしてしまえばいい…ということで、一つ目小僧と提灯お化けの会話で始まる。閻魔大王主催の国際お化け大会に出席した提灯お化け。会場で女の唐傘お化けに声をかけられて雨をしのがせてもらい、結局唐傘お化けの家に「お持ち帰り」されて…というちょっとシュールだが、「紙を外した唐傘お化け」の姿に興奮しちゃう提灯お化けなどに引くどころか爆笑。思えば春画を「笑い絵」と言うように、また売春婦を「売笑婦」と言うようにエロには「笑い」の要素があるので、文鹿師のこの噺はエロ噺の原点と言えるのかもしれない。

一、読書の時間(作:桂三枝) べ瓶
学校の「読書の時間」で読むためにお父さんの本棚から司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を持ち出す息子。しかしそれはお父さんが官能小説に「竜馬がゆく」のカバーをかけた代物で、そうとも知らず先生の指名で音読するが…という三枝創作落語の傑作。東京でも演り手が多いが、やはりオリジナルの大阪ことばの方がテンポがよく笑える。

一、質屋庫 文鹿
昨日ブラック師で聴いたのて、図らずも東西版の聴き比べとなったが、この噺に関しては上方版の方がいいと思う。「読書の時間」と同様、大阪ことばで語られることで噺にテンポが出るのだ。

お仲入り

一、トーク 文鹿・べ瓶
東西の寄席に出ているご両人、ということで東西の楽屋の違いなどについて。定席への出演も多いべ瓶さんだが、定席に初めて出た頃には東京の寄席のしきたりやマナーに戸惑うことが多く、またそういうしきたりにやかましい師匠からよく怒られたそう。文鹿師も根多帳の扱いなど今だに戸惑うらしい。トークで実名出してたのでピンときたけど、べ瓶さん、あまり気にしなくていいと思うよ。そういうむやみにしきたりにうるさい噺家って、肝心の噺があまり上手くない(勿論人気もない)のを楽屋で後輩に小言言うことで大家に見せかけてるだけだから。
文鹿師は「しのばず寄席」に出たとき持ち時間を勘違いしてめちゃくちゃ早く降りてしまった失敗談。しのばず寄席は各派混成で、また前座も出演者にカウントされる一人だけなので定席で立前座がやっている持ち時間の確認や時間配分などがないので、特に寄席形式の会への出演経験の浅い演者は概ね早めに降りる傾向がある。




一、錦木検校 べ瓶
衝撃的な高座だった。途中錦木が雅楽頭(角三郎)の前に出るところまで「三味線栗毛」だと思っていた。しかし、雅楽頭が錦木を検校にと言ったあと何度も「表を上げよ」と声をかけても錦木は反応しない。様子がおかしいと雅楽頭が医者を呼び、脈をとらせるが錦木はすでに事切れていた。「おまえが俺を雅楽頭にしてくれた。だから俺はおまえを検校にしなければならぬ。俺を恩知らずにさせないでくれ!」と泣き崩れ、「表を上げよ!表を上げよ!」と叫び続ける雅楽頭…勿論サゲはなく、雅楽頭が「錦木検校」と認めて錦木の亡骸に添え、それが錦木の墓碑銘となった…と噺を締めた。

終演後にべ瓶さんに訊くと、八代目正蔵(彦六)が伝えていた型で、小朝師経由で喬太郎師と鶴瓶師に伝わり、べ瓶さんは鶴瓶師に習ったとのこと。「三味線栗毛」は圓朝が講釈から移したものを高弟の四代目橘家圓喬と二代目小圓朝が受け継ぎ、そこから三代目小圓朝、五代目志ん生、二代目圓歌へと伝承された。この過程でサゲがついたのが現行の「三味線栗毛」であり、錦木が死んでしまうこの「錦木検校」はむしろ原話の講釈に近いのだろう。この型では聊か後味が悪いので「唐茄子屋政談」や「浜野矩随」にも母親が死ぬのと死なない二つの型があるように現行のようなサゲに連なる功成り名遂げた雅楽頭と検校になった錦木を出してハッピーエンドにした…ということだろう。錦木の病は死病で、角三郎が雅楽頭になった話を聞いた錦木が急に元気になるのも「亡くなる前に束の間元気になる」ということなら合点がゆく。


言われてみれば錦木が愛嬌満点で笑顔を絶やさぬところや角三郎の譜代大名の次男坊にしては伝法な語り口などに林家の風が残っている。また、感情の振り幅の大きいアツい語り口はまさしく鶴瓶噺の世界であり、それを受け継いだべ瓶さんの体当たりと言っていい熱演であった。9月の、いや2023年のMVPと言ってもいい。