毎年誕生日には菩提寺の両親と先祖の墓参をしています。


墓参や法事のあとは清遊といって趣味や娯楽を楽しむのがよいとされています。
というわけで今回の清遊は、雷蔵八百夜第434夜@お江戸日本橋亭に行きました。



2022年7月12日
雷蔵八百夜第434夜@お江戸日本橋亭
西新宿の落語ガールズとバッティング、ガールズのあら馬、遊七にも心が動きましたが、こういう日は大家の噺をじっくり聴きたくてこちらをチョイス。

一、ん廻し 晴太
いわゆる「大喜利噺」なので話術よりセンスが問われる噺。晴太さんはまだまだ発展途上なので、この手の噺でウケをとるにはもう少しキャリアが必要。なので今は習った通りに基本を固めてもう少ししたら自分のセンスでいろいろ工夫すればよいと思います。

一、宗論 風子
以前「風子の落語八百席」で聴いた「歌う宗論」ですが、前半の口論のテンポが落ち着いて、後半の歌との繋がりがスムーズになりました。サゲもキマって面白さがアップしました。

一、狸賽 雷蔵
「札」から「賽」へとつなぐ五代目小さん型。「札」は最近は前座か若手でしか聴いてませんでしたが、最初に狸君を助けるところから師匠の優しい眼差しが感じられてほっこりします。狸君は健気で愛嬌たっぷり。「賽」はほとんど五代目小さん型(サゲも仕方噺)だが師匠がみっちり稽古しているのでコピー感がない。やはり大家のこういう噺は一段も二段も違います。

お仲入り

一、たが屋 雷蔵
生の高座で「たが屋」を聴くのはものすごく久しぶりです。コロナ禍で川開きも三年連続中止、また侍が斬殺されたり最後に首が飛んだりする噺はコンプライアンス的にマズいのか、放送はおろか寄席でもほとんど出なくなっています。思えば講釈でも殺し場や修羅場より人情味や滑稽味が強い世話講釈が好まれているので、こういう噺は「首提灯」や「胴斬り」などとともにに絶滅危惧噺になってしまうのかもしれません。雷蔵師も久しぶりなのかちょっと思い出しながらの部分がありました。
師匠の「たが屋」は余計な入れ事のない十代目馬生、三代目志ん朝の古今亭型。逆ギレしたたが屋の啖呵が胸のすくような江戸っ子の啖呵でした。