「ビジネスには教養が必要だ」みたいな感じで、実用的な側面での教養の重要性を訴える風潮になって久しいですが。
私自身はそれよりも「修養」の重要性を訴えたいんですよね。
「修養」とは何か?教養と何が違うのか?
しゅう‐よう シウヤウ【修養】
〘名〙 学問をおさめ、徳性をやしない、より高い人格形成に努めること。精神を練磨し、品性をやしない、人格を高めること。
※童子問(1707)中「夫修養之引レ年、資質之変化、皆可二勉而至一焉」 〔張養浩‐寿子詩〕
【精選版 日本国語大辞典より引用】
私の解釈ですが、修養は知育的なものと同様に、またはそれ以上に徳育も重視して人格形成を目指す主義・思想だと思います。
昨今「教養」の名のもとに他人にマウントを取ろうとする人が随分増えましたが、ああいうのはよくないですね(むろん、「教養」主義自体が本質的にこういう人を目標にしていると言っているわけではありませんが)。
「教育勅語」でも「敬神生活の綱領」でも「般若心経」でもいいですが、まずは何か道徳的な指針を見つけ、それをもとに「修養」していくのがいいんじゃなかろうか。
最近はそういうことを考えています。