なんだか怪しい空模様ですが
今日も少し走ってきました。
いつもの仁保駅経由の376号を走り、
仁保近辺の八幡宮巡りをしてきました。
最初に立ち寄ったのが
若宮神社(若宮八幡宮)
ここは・・・・判りにくい!
これが入口とは・・・・・
普通に通り過ぎたがな><
そして自転車担いでなかに入り込むと・・・・・
寂しすぎる・・・
荒れ屋がポツンと佇んでいた。
これは・・・深刻な状況だな~。
ネットで調べても何も出てこなかった。
由来等一切私には判りませんでした。
そして次に立ち寄ったのが
深野八幡宮
綱?しめ縄?が切れて垂れ下がってるし・・・
(思わず泣いた><)
屋根は青く塗り直した様ですが、
ここも深刻なの?
調べてみましたが、ここも特に何と言う事のない・・
いやHITする内容が薄いです。
もう少し力を入れて欲しいところです。
でも、境内のねじりスギが有名みたいですし、
その場では気付きませんでしたが
こんな狛犬?・・いやチン・・・珍石が!!!
次に行った時は画像に収めたいと思います。
まぁ若宮八幡宮とは違って人が住んで管理しているようですし・・・
何かと考えさせられました。
その次に立ち寄ったのは
長野八幡宮
ここは良い♪
個人的にはなんか好き。
落ち着いたな~
ちゃんと説明看板もあったし♪
(サビサビの文字が消え~のって状態でしたが)
1089年に宇佐八幡宮に勧請したとの事。
中世には大内氏の宗敬は厚かった様ですが
大内氏没後兵乱によって焼失し
現在の建物は江戸時代に建てられた様子。
ここは大丈夫そうだなと安心しました。
石灯籠の巴マークが気になったなぁ。
そうそう、近所にもう一軒八幡様があった・・・・
相変わらず一度地図を見ただけの適当なヤマ感で進みます。
途中3m位の橋がかかってたので撮影
ちゃんと橋です。
お・・・あれだな、と見当を付けた場所は
八幡様ではありませんでした。
中国自動車道に面したその建物は
桜木神社でした。
自転車担いでゴリゴリ階段登ると
ちょこん・・とお社が
社伝によると承平元年(931)大内氏11代茂村が大内御堀に創建したものといわれ、江戸時代中頃に現在地に移されました。伊勢、熊野、春日、八幡、厳島の五社を祭ったもので、天文11年(1542)の文書によると当社との三の宮、今八幡宮を山口三社といって流鏑馬なども盛んに行われ、大内氏や毛利氏の崇敬を受けたと伝えられています。(「ふるさと山口」による)
右手のケースは干支の動物達が飾られてます。
来年は巳ですね~。
境内にがん封じ堂がありました。
隅っこじゃなくもっと表にあっても良いのにな~。
さて・・・もう一度担いで降りるか(ゴリゴリ)。
次に目指すのは
志多里八幡宮(しだりはちまんぐう)です。
未舗装の参道をガリゴリ歩きます。
ここでドエライもんが写ってました。
(ドラえもんでは無いです)
人の手です。
こっちに進めと言っているのでしょうか。
人差し指が左方向を指しています。
帰宅して画像を確認するまで気が付きませんでした。
偶然にも左方向で帰った私は、途中でほとんど道が無くなり
難儀して舗装路に出たのでした。
今日見てきた八幡宮だけでなく、全体に山口県の神社仏閣は廃れ感が強いです。
このままでは維持すら難しくなる時がそう遠くないと思われます。
かと言って私にはどうにも出来ない><
そうだ! みんなそれぞれ近所の八幡様へ行こう!
そしてお賽銭を!
コツコツと重ねれば活性化されるんじゃないだろうか。
さして難しいことでは無いと思います。
ご協力を!
ところで本日お邪魔したところは、
全て・・・
全てクリート付けた靴向きではありませんでした。
若宮八幡では坂で滑りコケそうでした。
深野八幡は中に入る気になりませんでした。
長野八幡は境内への参道が石でしたから
歩きにくいったら・・・・クリート減るし。
桜木神社は石段でクリート痛むし・・
志多里八幡は参道が未舗装で長い・・・
次は絶対運動靴で行きます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
帰ろ・・
帰宅してシャワー浴びて洗濯して、
ミニベロで食事に出かけ、買い物してから龍泉寺の鐘を撮影しました。
今のところ天気はもってるな。
もっと遠出しても良かったかも知れない。
本日の走行距離は40kmでした。