昨日は尾崎豊の命日だった。今年はコロナ騒動で卒業式が中止になった学校が、尾崎の卒業を思い出した。卒業は支配されていたものからの解放で、人生卒業の連続である。私の卒業式の話をします。小学校の卒業式は何度も練習して、この頃からはじまっただろうよびかけ、自分達の言葉でないことに違和感を感じた。中学の卒業式は学年中のいじめられっ子の女性が隣でついてないなってぶつぶつ言ってたら泣き出して式が終わり、教室で最低とクラス中の女子に軽蔑され、高校は大学の時合格発表の前日で全く身が入らなかった。大学の卒業は出口で後輩がニコニコして酒樽とおでんで待ってて記憶がとぶほど飲んだ。私に卒業式はそれぞれの節目であった。死ぬまで何らかの卒業は続くが、今は私は色んなものから解放され、自由なのかもしれない。障害という身体的な拘束を除けば。