戦時中の体験を語れる方もすくなくなりましたが、26年前に亡くなった祖父は8月9日は長崎にいたらしい。軍の仕事していたそうで、廊下が建物の真ん中にあり左右に事務所が別れてあり爆心地側は全滅だったらしい。遺体の整理をしたことを話してくれた。整理と言っても山積みにするだけだが、防空壕の悲惨さも話してくれた。入り口が爆心地にむいているものは光が入ってきて、光は防空壕の壁に当たって反射して返ってより悲惨な状況だったそうだ。母は18年生まれだから虹被爆はないが、叔父叔母が戦後生まれだから、二次被爆の恐れがある。祖父は竹細工職人で漆に強いから大丈夫だと根拠のない自信を持っていた。小学校五年かなはじめて話してくれた。今日は終戦記念日だ。祖父の見た原爆を最後の核爆発にしたいものである。