父が亡くなって母は解放されたように好きだったガーデニングにいそしみ、食事の準備も急かされず生き生きとしている。
私もそんなに悲しいと感じることはない、父の存在とはなんだったのかと考えていたら、感謝はしているが、尊敬はしなかった、小さい頃から父は人前でうまく話せないし、学歴もないし、不器用で好きでなかった。私が中学高校と一生懸命勉強できたのは、小学校の頃のように先生に器用に振舞わなくても成績に顕著に現れ、評価されたからだ。経済的理由、色覚異常から進学がかぎられたことに対し、親を憎んだこともあった。今日父について考えてみたら、私が、この歳になっても学ぶことが好きなのは、父が与えてくれた環境で育った雑草魂だった。父は器用に振る舞えない私の象徴だったのだろう。だから
、最近勉強をしてても張り合いがないのかとわかった。結局嫌っていても認めてもらいたかったのだ。父の死後はじめてさみしさを感じた。
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