今日私のパンドラの箱の鍵があいたかもしれない。これまでも幾度かあった.最初は高校の時アメリカンニューシネマに接した時、ハッピーエンドでない映画を観た時、そして大学時代時間が余るほどあった時、前衛漫画ガロに原点を持つ多くの漫画に接したとき、そして、ジャニスジョプリンを聴いた時、今日綿矢りさの憤死の短編をひとつ読んだ。文学に接するとき私は陳腐なハッピーエンドでなく、生についての答えを求めて読んでしまう。そんなの死ぬまでわかるわけないのに、しかし今日は何かの鍵があいたように、発狂のスイッチが入りそうなくらいだった。吉と出るか凶とでるか、頭が覚醒している。落ち着かせてから寝よう。何かがおきそう。少し恐い。
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