父とのかかわりについて考えていた。小さい頃は出張が多く、あまり遊んでもらわず、成績が上がっても一番じゃないとつまるかと言われ、中学最後の統一模試で10番以内に入れば認めると言われ、9番に入った。当時生徒数は学年270人程度だと思う。高校に入っても自分が大学に行くと考えてなかった父は塾に通わせてもらえなかった。経済的理由もあるけど、大学に入った時初めてまともに褒めてくれた。教育熱心でなかった父を恨んでいたが、自分が病気で意識不明で意識が戻った時、病院の周りをおしてくれた。少しずつ落ち着くと父が意外に子煩悩なところに気づく。自分が障がいを受け入れられない時、けんかして物を投げつけたこともあった。もうけんかできる人がいない。死んだ時には泣かなかったのに今になって涙がでてきます。毎朝写真とお骨前の水をあげておまいりする。最近やっと父の死を実感できつつあるような気がする。
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