みっけもん -9ページ目

3.11

昨年のちょうど今日3月11日14:46地震がおこった。

今日はそのことに関しての特番、報道が当然多かった。
自分が住んでいるのは大阪だからすごい大きな揺れを感じたとかそんなことはなかったけど、
津波が来た時の映像とかリアルタイムで見ていた。
自分の目の前にあるテレビの映像が現実であると理解しながらも非現実。
その後の被害なども同じ。
自分が住んでいる国とわかっていても、どこか現実味がない。
こんなことをゆってはダメだけど、どこか他人事。
現地に足を運べば、現実を突きつけられる。
そうはわかっていても自分自身で精一杯の自分に何が出来るだろう。
そういういい訳もありつつ現地へは赴いていない。
当然その時期行われていた募金活動等には寄付したし、
復興の為に何かしたいという人たちを応援もしている。
自分に手伝えることがあるならしたいとも思う。自分に損害がない限り。

そんな感じの自分が今日思ったこと。
全国で黙祷が行われた。その映像が流れていて黙祷後すぐに日常に戻る光景。
日常の中で1年前の出来事を風化させないように行われたその行為。
とりあえずした人もいるだろうし、なにも気にかけなかった人もいるだろう。
様々人がいる中で確実に時はたっている。
自分と同じように特に被害などなかったという人たちは何を思い今日という日を過ごすのだろう。

あの震災があって自身が思うこと。
多くの人が口にした言葉でもあるが「絆」
多くの人が自分に何か出来ることはないか考えたはずだ。
現実に行動に移した人もいるだろうし、形になっていなくても真剣に考えた人もいるだろう。
誰かを助けたいと思いわずかにでも募金をする、小さいことかもしれないけど確かな行動。
種族としての仲間意識。
そして今つながっている人たちとのつながりの大切さ。
その「絆」というものを考えさせられた。

そして「命」
一つの命の重さ。
そして弱さ。
地球というものの大きさ。
それに対しての人間の小ささ。
あまりにも無力な人間の弱さは地球上の一生物とあらためて思わされる。
人間がいて、ほかの動物がいる。
それぐらいの感覚に陥っている人の愚かさ。
放射能というものを無責任に使ってしまった罰。
まだまだこれからも問題になっていくだろう。


あの震災は多くの人にとって節目となったはずだ。
直接的に、間接的に。
日本の人だけでなく世界の人に対しても。
時が経てば少しずつ薄れていくかもしれないけれど、
この時に考えたこと、また乗り越えたことは確かにその後の人生につながってゆく。
あの日が残した傷跡に未だ進めない人たちもいるだろうけど、
いつか全ての人が乗り越え強く一歩踏み出し新しい日常を迎えれることを祈ります。