いつもと何一つ変わらない帰り道
偶然だったのか、たまたま目に飛び込んできたからなのかはわからないけれど、あれは必然だったのかもしれないと今は思う

 

陽が落ちていく中、様々な色で彩られていく綺麗な夕焼け
そして、ほんのわずかなときに訪れる、金色に輝く雲
色鮮やかに彩られていく空と、輝く雲の中を自由に横切っていく金色の飛行機雲
「あぁ、素敵な風景だ」

 

そう思った瞬間に、ふとある人の顔が頭に浮かんだ
素敵な笑顔の人
まるで太陽のように明るく朗らかで、周りの人を温かく包み込んでくれる
そして、絶えずたくさんの人が集まってくる
そんな女神のような人

 

あの人と別れたのも、こんな夕焼けが綺麗なときだった
最後の言葉は、またね、ではなくて、さようなら、だった
もう会うことはない
会うことはできない
うまく笑顔でさようならを言えただろうか
涙見せずに、別れることができただろうか

 

僕の中でのさようならは、さようならば仕方ない、という名残惜しい意味合いより、永遠に会うことができないかもしれない、という時に使うことが多い
だから人生の中で、さようならを言える人は、初めましてを言える人より少ないかもしれない
もしできることなら、さようならを言う機会は少ないほうがいい
そう思うようになったのはいつ頃からだっただろう

 

夕焼けが綺麗に見える時間は限られていて、運良く見ることが出来る時とどうしても見られない時がある
だから、今日は多分ものすごく運が良くて、あの笑顔を思い出せたのだから、もっともっとすごく運が良かったのだと思う

 

一日一日のどこかに必ず良いことは埋もれていて、それは時々ひょっこりと頭を出して見つけてくれるのを待っているのかもしれない
だから、今日も、明日も、明後日も、明々後日も……
またね、また会おうね
出会った人たちに、そう言って笑顔で別れたい

 

またね
また会おうね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日は、夜空に綺麗な満月が輝いていた。

 

昼間のギラギラとした熱を帯びた空気から、少し静まった空気へと移り変わって、家々の明かりが灯り始める。
多くの人たちが夕食を取る時間であったり、一日の疲れを取る時間だったり、家族と楽しむことのできる時間だったり、陽がある時間とは違うドラマチックな時間。

 

明かりを消した自分の部屋のカーテンが内側から光り輝いていたから、思わずカーテンを手にとって窓越しにそれを眺めた。
その瞬間まるでオオカミ男になったみたいに、なんだか無性に心踊るワクワク感がやってきて、思わず靴を履いて外に飛び出た。

どこか心地良い乾いた風が時折吹く、まだ暖かくはない肌寒い空気。
綺麗に月が見られて少しぼーっとできる場所、を探し求めてひたすら街の中を歩いた。

 

シルエットの木々。

街灯に照らされた道路

どこかを走るバイクやトラックのエンジン音。
夜になって聴こえてくる、遠くの電車が走る音。

 

やっぱり夜の街は美しく見える。
何度も何度も、それこそ夜に出歩ける年齢になってから夜の街を歩いているけれど、そう思う。

妖しさと恐怖はどこかしらにある。
光り輝く街に、たくさんの人が生きていると実感する家々の灯り。
それでもすれ違う人はほとんどいなくて、ポツンポツンと点在する街灯の灯りはこの街が田舎だと実感させられるけれど、不思議と寂しさみたいなものは生まれてこない。
生まれ育ったこの地はやっぱり愛着があって、見慣れた景色は何度見ても美しく、素敵に見える。
もちろん都会の機械的な建物の灯りもカッコよくて素敵だけれど、ここに帰ってくると身体がホッと一息つくことができる。
電車から降りて一息吸い込んだ空気でそれは感じ取ることができるし、車から降りたその瞬間も感じ取ることができる。
できることなら、この地でたくさんの人と笑いあって毎日を楽しく過ごしていきたい。
たくさんの人と、それこそ国境を越えて知り合って、お友だちになって、ワイワイ楽しく生活していきたい。

 

月明かりに照らされた自分の影を見つめながら、そんなスケールの大きいような、とめどない想いが頭の中で目まぐるしくグルグルと回っていた。

 

結局のところ、こうしてゆっくりと椅子に座って時の流れるままに、移り変わる景色やその場に溢れている音なんかを聴くことができる余裕を持ちたい。
月が綺麗だね、と言える時間を多く持ちたいし、楽しくみんなで話ができるような環境を大事にしたい。

そういうことなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この世界にはたくさんの知識が蓄えられている
先人たちの書物があって、限りある一生の中で知識を目一杯持っている人たちがいる
それは図書館や本屋さんに行けばわかるし、誰かとの出会いで実感できる
たぶん、自分の人生で得ることのできるものは限られている
どれだけ時間を費やしてみても、この世界の理すべてを見ることはできない
だけれど、出来うる限り多くのことを、たくさんのアンテナを張って目にしてみたい
それは、景色だったり書物
あるいは見果てぬ異国の地

 

そう思うようになったのは、知らないことは怖い、と思ってしまうから
少しの知識があったら、物事をみる視点は変わって、きっともっと豊かな人生が送れるはず
もっともっと、楽しく生きられるはず
自分が思う、なぜ?にたどり着くことができるはず
それは、もっと野生的な人間の知的欲求心みたいなものかもしれない

 

見て見ぬ振りをすることは簡単だけれど、見えてしまったものに蓋をして鍵をかけてしまうのは楽なことだけれど、心のどこかで憤っている自分がいる
もし対処法を、そのことに対しての知識があったら、違うアクションができるのでは?
そしてそれは、誰かのためとか自分のためとかの理屈ではなくて、もっとこの世界を楽しむことにつながるのでは?
そう、ささやく自分がいる

 

困った顔をした見知らぬ外国人が英語ではない言葉を話しかけてきた時、答えることができずに、なんとなく一緒に地図を見て考えて、ジェスチャーで伝えることはできる
だけれど、もっと言語通じて話すことができたら、きっと世界は広がるし、その時間はもっと幸せな時間になる
お互いにとって、よかったと思える時間になる

 

人と人とが、日常生活の何気ない瞬間に顔を見ながら、時々上手く伝わらなくてもどかしく思ったり、相手のことを上手に理解できずに悩んだりしながら、話をするということ
難しいことでも、理屈で考えることでもなくて、ごく当たり前の自然の事

 

興味のないことは、知らなくてもいいかもしれない
自分の知っている世界以外は知る必要はないのかもしれない
それでも、知らないことを怖い、と思うようにはなりたくない

 

たくさん蓄積されてきた知識や想いと、上手に付き合っていきたいと思う