自分の中でいつも頑張ってやっていたこと

・相手の意欲を上げること
・自分の見えているものが相手には伝わらず、もどかしさと自分のタイミングで進められないこと

ここを諦めたことで、

誰かに対して働きかけることへの自分の
「情熱」?や「進める力」(人や物事を前に押し出す勢い)が自分の中でどんどん失われていっているのがわかる。それも諦めというのだろう。

この諦めが自分のスタイル、考え方、物事に対してのやり方の死亡のような感覚がある。

そして、そこを通して周りを観察していると、人はそれぞれ自分のペースがあり、自分で選択をする人もいれば、周りに流されたり、あえて選ばないで拒み続ける人もいるだろう。

そこに対して働きかけることをやめたことで次に自分はどうしたいのか?

・自分がやっていることに対して残る人だけを相手にする
・わざわざ自分を曲げたり、相手の位置まで降りていく必要はない。相手が選択していること。
(置いてけぼりをわざとすることで逆に意欲的になる層もある)

人は自分が見たい世界を見ているのなら、同じものを見ていてもそれぞれ意見が違うのもそういうこと。