この章を書き始める時に、「天才とは、当たり前でなかったことを当たり前にしてしまう人を言う!」と言いました。
その論理でいうと、爆風銃以後の活動でメンバーのうちダンシング・フライとドゥーワップかんじは、目立ったバンド活動をしていませんから、彼らの革新性が目立った形で残されてはいないわけです。
しかし、影響を与えたという点で、そのフォロワーたちの活動歴を見れば、如何に爆風銃以前と以後とでは日本の音楽シーンの作曲づくりが変わってきたことが分かります。
あの久保田利伸が爆風銃に影響を受けたことは、以前にブログでも書いたと思いますが、彼が「尖がったファンクはやりたくない、もっとメローでポップなファンクをやりたいんだ!」と公言したように、そのメローでポップな部分を担当していたのが"ドゥーワップかんじ"だと思っています。
楽曲というのは、リスナーに届く時、メロディーだけを抽出して聴く訳ではありません。よって、バンドメンバー全員のアレンジされた音を聞くことになるわけですから、>ライブでしか聴いていないサウンドは「尖がって感じる」のです。
私からすれば、ドゥーワップかんじが作り出す楽曲のメロディはメローでポップ、さらに哀愁をおびていると思います。
黒人音楽のそれとは違う、良き日の日本のフォークソングをベースにしたドゥーワップかんじの曲は、その後の日本の音楽シーンのお手本になっているんじゃないでしょうか?
私は、あの3年にも満たない活動の中で、爆風銃のライブにに足しげく通った、今活躍しているアーティストたちがたくさんいると思っています。
爆風銃が、あの当時のアンダーグラウンド・シーンで、唯一日本の音楽シーンの1ジャンルを担うバンドに成長する可能性がありました。
私は思うのです。今や大活躍するEXILEの楽曲ですら、ドゥーワップかんじの筆から始まったと...