ご注意!!![]()
この「ヘンリー・モルガンのお話し」は
か~なり長ったらしい記事です。
興味のナイ方は読み飛ばしちゃって下さいネ。
「そこまで云うんなら最後まで付き合ってやろうじゃないか!!」
と仰る方は気長~な気持ちでお読み下さいマセ m(u_u)m
前回のお話しは こちら
キャプテン・モルガン・ラムのラベル
私掠船団長=プライヴェーティアとしてデヴューしたモルガンは10隻の船を掻き集め、乗艦する海賊達を他の海賊頭目とは違ったやり方で募ります。
危険の多い作戦だけに、普通に布告を出して参加を募っては海賊達が尻込みし集まらないからです。
彼は高価な赤いシルクの服に金銀宝石を身につけ、いかに自分が成功者であるか見せ付けつつポート・ロイヤルを練り歩き、海賊達の間にその姿が口コミで広がることを計算して参加を呼びかけたのです。
“俺に付いて来ればお前達も同じように一攫千金のチャンスを手に入れる事が出来るぞ”と云う無言のアッピールをした訳です。
このアイディアは功を奏し、彼はカリブ海域の中でも最も優秀な500人の海賊を獲得しました。
お馴染みのキャプテン・モルガン・ラムのラベルに描かれた赤い服のモルガンはこの時の逸話を元に描かれているのではないでしょうか?
プエルト・プリンシペ遠征
1668年2月、ヘンリー・モルガンはキューバ島中央の街プエルト・プリンシペ(Santa Maria del Puerto del Principe 現カマグウェイCamaguey)に出帆します。
結果からすると襲撃は戦略的成果が不十分に終わりました。敵に襲撃が露呈してしまい、殆どの住民や財宝も街から姿をくらました為、ジャマイカ攻撃の情報を捉える事が出来なかったばかりでなく、大した“上がり”も手に入らず海賊達の不満はくすぶりました。
ポルト・ベリョ攻略
この為に新大陸スペイン領第三の都市のポルト・ベリョ(Portobello)(現パナマ共和国コロン県Colón Province)強襲が策動されます。モルガンはプエルト・プリンシペ遠征の失敗と海賊同士のトラブル(イングランド人海賊とフランス人海賊の分け前を巡る事件)で十分な海賊が集まらないまま(9隻の船に460人の海賊)、攻撃に向かいます。
ポルト・ベリョはスペインに向けて新大陸の金銀財宝を出荷する一大集積港湾でした。この為、スペイン側も海賊の攻撃を想定し、都市は3つの堅固な砦に守られた「難攻不落の」要塞でした。
しかし、モルガンは1668年7月薄暮攻撃でまず一つ目のサンティアゴ(Santiago)砦を奪取、2つ目のサン・ヘロニモ(San Jerónimo)砦を激しい攻防の末陥落させ、3つ目のサン・フェリペ(San Felipe)砦をアッサリ降伏に追い込みます。ポルト・ベリョは15日間に亘り占拠、略奪され、戦利品が海賊達の規則に従って分配されました。
ジャマイカ攻撃に関する情報は手に入らなかったようですが、モルガンは難攻不落のポルト・ベリョを陥落させた事で、その名をカリブ中の敵や味方、海賊達に知らしめました。
私掠免許状は艦船襲撃にのみ発給されており、スペイン植民都市への攻撃は厳に戒められていましたが、モルガンもモディフォード卿もジャマイカ防御にはスペイン植民都市への襲撃が効果的だと再確認します。
神出鬼没の海賊の襲撃にスペイン各植民都市は守備兵力を割かざるを得なくなり、結果、ジャマイカ攻撃の動員余力が無くなるからです。
海賊達にスペイン領へのさらなる攻撃が求められます。 (つづく )
(この記事は独自の解釈や推測が含まれています。
定説と一部異なり、また、確定していない内容をも
含んでいます。予め、ご了承下さい。)
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