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「ドランブイ社の設立とマルコム・マッキノン」
マルコムはマッキノン分家筋の男性で、1900年にスカイ島グレンモア(Glenmore)からエディンバラに“上京”し、酒類仲介業を営んでいたウィリアム・マクベス&サン社(William MacBeth and Sons)で働いていました。
彼は1908年から「ドランブイ」の生産を開始し販路拡大を目指します。
(この時、更にアレンジが加えられマルコム版=現在の「ドランブイ」になります。
なので、ジェームズ・ロスの孫、ディードリ・パースは「現在のドランブイ」は「祖父のブラッドフォード版ドランブイ」とは別物だと主張しています)
「女系一子相伝」
1910年エディンバラ市で最初のパブリシティ・キャンペーンを実施しましたが、当初は12ケースの販売に留まりました。
1914年の世界大戦開戦と共にマクベス社は廃業し、マルコムはこれを引き継ぐかたちで独立し、現在のドランブイ社を設立。
1915年にエディンバラで知り合ったジョージア(Georgina)と結婚。
1916年にドランブイは英国上院の酒蔵に納入され、後には在外駐留英軍にも出荷されるまでになります。
1920年代から「初めて」チャールズ“王子”に絡めた宣伝を実施。
1945年にマルコムが亡くなると、替わって妻のジョージアが会社を切盛りし、1950年代から60年代にかけて業績を更に拡大させます。(しばしばバグパイプ奏者を引き連れて営業したとか)
更にジョージアは自身の引退前に義理の娘にのみ製法を伝承しています。
この時からドランブイの製法継承は女系一子相伝となります。ジョージアは引退した後の1973年4月11日に亡くなっています。
ドランブイは“王家秘伝の薬酒”の生い立ちから、今でも、そのラベルには「チャールズ・エドワード王子のリキュール“Prince Charles Edward's Liqueur”」と明記されており、ジャコバイトのハートを鷲掴みにしています。
さらには「王子の贈り物を忘れるなかれ“CUIMHNICH AN TABHARTAS PRIONNSA’-'Remember the gift of the Prince”」と“念押し”までされています。
「知らないほうが良いコト」
ジャコバイト蜂起に始まるドランブイを巡る200年以上の出来事を眺めてみると、研究家の異議申し立てにも一理ある気もします。
「ドランブイ=王家秘伝の薬酒」の伝説には、どことなく「平家落人の里」の特産品と同じ臭いがしなくもありません。
「マッキノン一族は王家秘伝の薬酒のレシピを本当に下賜されたのか」
「なにが1870年代のブラッドフォードホテルであったのか」
「いや、そもそも秘伝のレシピ自身が実在したのか」
推理はたくましく出来ますが、恐らく真実は永遠に謎のままでしょう。
“ヨノナカ”には知らない方が良い事もある、という事でしょうか。
「ジャコバイトの夢」
しかし、重要な点は、こうした一部の研究家のツッコミも物ともせず、今もマッキノン氏族やブラッドフォードホテルが“王家秘伝の薬酒”の伝説を誇りに想っており、なによりも、多くのスコットランド人達も“史実”として受け入れていると云う事実です。
それはスコットランド人のナショナルアイデンティティーとして脈々と今も“ジャコバイト”の精神が受け継がれているからなのでしょう。
実際“ジャコバイト”の精神の継承の証左が、近年のスコットランド議会開会の出来事にも良く現れています。
ミレニアム直前の1999年5月12日、「スコットランド議会議員総選挙」で選出された議員129名が、間借りした仮議事堂(チャールズ“王子”が進軍中に5週間滞在したエディンバラのホリールードハウス宮殿に程近い、スコットランド国教会総会堂)に集まり、議会の開会を宣言しました。
ジャコバイトの夢「独立」とまではいきませんが、一定の自治がイングランドから認められた瞬間です。
「1707年3月25日以来、“一時的に中断していた”スコットランド議会を、ここに再開する」
議員のその胸にはすべからく“ジャコバイトの象徴である”白いバラが付けられていたそうです。
現在、ドランブイはエディンバラ郊外のブロックスバーン(18 Westerton Road,Broxburn,EH52 5AQ, Scotland, United Kingdom)で製造されています。(おしまい)
(ドランブイの本国でのCMをご覧になりたい方はこちら)
注:この記事の一部には不確定な証言に基づいた独自の推測が含まれています。この為、現在のドランブイ社、ブラッドフォードホテルの公式な広報内容と一部異なっています。ご了承下さい。
