ショットバー ブートレッガー SENGAWA BAR HOPPIN'

ショットバー ブートレッガー SENGAWA BAR HOPPIN'

BAR HOPPIN'とは・・・・バー巡りのコト
あなたは今夜、どこで呑みますか?
ブートレッガーは仙川の南の端ッコのショットバーです
ブートの酒番が、あんなコトやこんなコトをブログにアップしてますw

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アンゴスチュラ・アロマティック・ビター 44.7度
Angostura aromatic bitter 44.7°)
アンゴスチュラ・リミテッド( Angostura Limited)

アンゴスチュラ・アロマティック・ビター(Angostura aromatic bitter=以下アンゴスチュラ・ビター)はトリニダッド&トベイゴ(Trinidad & Tobago)で製造されている苦味酒です。
1824年にプロイセン人のジーゲルトが南米ベネズエラで開発しました。

かつては健胃・強壮・解熱、胃のムカツキの治療、果てはしゃっくり止めにも薬効があると云われていました。西インド諸島の一部ではマラリアの予防薬として用いられていたとか。現在では主にカクテルや料理の苦味付け、風味付けに用いられています。

創業者の死後も子孫が原処方を守り続けており、現在も正確なレシピは5人しか知らないんだとか・・・

「アンゴスチュラ・ビターCM!?」
昨年トリニダッド&トベイゴで放映された
「アンゴスチュラ・ビター」のCMです。
日本では考えられない衝撃映像です。トリニダッド&トベイゴに未成年者の飲酒を禁じる法律は無いんでしょうか・・・

次回はアンゴスチュラ・ビターのトリビアなオハナシです(続く


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※アンゴスチュラについて最初から読みたい方は コチラ


ファミリー企業から世界企業へ

アンゴスチュラ・ビターの販売拡大と共に会社も人材や会社規模を拡充させ、業務の拡大を目指します。

1936年、将来のラムの生産を睨んで、蒸留技術のスペシャリスト、ロベルト・シールハヤルト(Robert Siegert)を採用します。


その後も1942年に技師のアルベルト・クライド・ゴメス(Albert Clyde Gomez)

1944年にはマネージメントのトーマス・ガットクリッフェ(Thomas Gatcliffe)を招聘します。


5年後の1949年にはラム酒生産の拠点としてトリニダッド酒造会社(Trinidad Distillers Limited)を創設しブレンディング販売から自家生産へ脱しました。


アンゴスチュラ・ビターは1952年にはスウェーデン王グスタフ6世アドルフ(Gustav VI Adolf)の、そして1955年にはエリザベス2世(Elizabeth II)の即位間もない二人の君首の「御用達」を獲得します。


特にエリザベス2世の「御用達」任用は社内では名誉として受け止められており、現在でもラテンアメリカ、カリブ海諸国、なかんずくトリニダッド&トベイゴで唯一の御用達会社だそうです。ボトルネックにもこの事が明記されています(BY APPOINTMENT TO HER MAJESTY QUEEN ELIZABETH Ⅱ)


1992年現在の社名、アンゴスチュラ社(Angostura Limited)に変更します。

SENGAWA BAR HOPPIN'
2003年以降はCLワールド・ブランズ(CL World Brands)傘下に入りさらに販路を拡大させ、現在では165の国や地域でアンゴスチュラ・ビターは販売されています


2007年からはアンゴスチュラ・オレンジ・ビター(Angostura orange bitters)の製造販売も開始しました。

ラベルは勿論・・・・はみ出ています♪




アンゴスチュラ・ビターのオハナシはこれでオシマイです。

お付き合い頂きありがとうございましたm(__)m


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金賞受賞

1873年、三兄弟はウィーン万国SENGAWA BAR HOPPIN' 博覧会にアンゴスチュラ・ビターを出品し見事金メダルを獲得しました。 金メダルには時のオーストリア=ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph I)の横顔の刻印されていました。

この受賞はアンゴスチュラ・ビターにとって極めて大きな意味を持っていました。実は販路が拡大するにつれ、他の薬草酒の模倣ではないかと囁かれ始めていたのです。

(1790年オーストリアでウニクム 、1846年プロイセンでは既にウンダーベルグ が販売されていました)



SENGAWA BAR HOPPIN' グランプリ受賞はそうした風説を一蹴する効果があり、販路拡大に弾みを付けました。この事は現在のアンゴスチュラ社も会社発展のターニング・ポイントとして考えており、ラベルにもこのメダルが両面描かれています。


1874年マークトウェイン(Marktwain)がロンドン滞在中に味わったアンゴスチュラ・ビターを絶賛する手紙を認めています


同年ニューヨークのマンハッタン・クラブ(Manhattan Club)でサミュエル・J・ティルデン(Samuel J. Tilden)ニューヨーク市長選当選祝賀会の席でアンゴスチュラ・ビターを使用したカクテル、「マンハッタン」がお披露目され今日に続く道筋を付けます。


ポート・オブ・スペインに引越し

こうした順調な経営と裏腹にベネズエラの社会情勢は徐々に悪くなっていました。1858年から1863年の5年間は内戦状態にまで悪化しています。


この為、1875年遂に、ジーゲルトの息子達はベネズエラを去る決意をします。シウダ・ボリバル(旧アンゴストゥーラ)から420km離れたオリノコ川河口の英領トリニダッド島(Trinidad)のポート・オブ・スペイン(Port of Spain現共和国首都)に生産拠点を移します。

三兄弟は安定した政治環境の中で精力的に活動します。


1876年ドン・カルロス・シールハヤルトはフィラデルフィアの国際見本市にアンゴスチュラ・ビターを出品。金賞を受賞します。その後もオーストラリアの国際見本市にも出品したようです 。

1903年長兄カルロス・シールハヤルトが亡くなります。父親に一歳及ばない72歳でした。

会社は次男のアルフレードが引き継ぎます。


カルロスの一周忌には先祖の国プロイセン王(ドイツ帝国皇帝)ヴィルヘルム2世(WilhelmⅡ)の「御用達」をアンゴスチュラ・ビターが獲得しブランド力を高めます。

その後も1907年にスペイン王アルフォンソ13世(Alfonso XⅢ)、1912年には英国王ジョージ5世(GeorgeⅤ)など欧州各国の君主の「御用達」任用を次々と獲得します。


この頃英国で有限会社として登記(1909年)し、1921年8月30日には登記上だけでなく正式に社名もドクター・J.G.B.シーガート&サンズ社( Dr. J.G.B Siegert & Sons Limited)と英国風に変更されます。


次回は最終回、アンゴスチュラ・ビター今世紀迄の躍進のオハナシです

続く


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