今回のブログでは、私が宇宙から教えてもらった秘密についてお話しよう。
そこで、まずあなたに次のことを聞かせていただきたい。
あなたが生まれてきて物心ついたとき、どこにいたであろうか?
このどこ?というのは、家とか学校とかそういうことではない。
あそこ、そこ、ここ、といった自分から見た位置を示す場所のことだ。
時間でいう過去や未来にあたる、自分がいる位置から見た場所を表す特定の呼称がないのでこんな聞き方をしたわけだが、このブログを書いている「私」・・・・・・からすると、あなたは「そこ」にいたのではないだろうか?
このブログを読んでいるあなた・・・・・からすると「ここ」ということになる。
私とあなたは今、違う場所にいるのでこのように「ここ」と「そこ」になってしまったが、この呼び方は対象によって変わる。
離れた場所にいる相手に対しては、「あそこ」にいる人になるが、近くにいる人を指す場合は「ここ」にいる人になる。
これは、相手がいる位置によって呼び方を変えているというわけだ。
でも 、あなた個人のいる場所として考えると必ず「ここ」になるはずだ。
私が「ここ」にいるということはあるが、私が「あそこ」にいるとはいわないだろう。
なので、先ほどの私の問いに対しても「ここ」という答え以外はないはずだ。
過去で見ると、物心ついたときだけではなく、昨日でも1年前でも10年前でも同じことだ。
もちろん今現在で考えても私は今「ここ」にいるということになる。
人間の意識と体は必ずセットになっているので、私たちが「ここ」にいるというとき、それは自分の体が「ここ」にあることを意味する。
つまり、自分の体があるところに私たちはいるということだ。
当然といえば当然のことだが、ここが今回のブログで伝えたいことを示唆するポイントといってもいいだろう。
では、次の場所へ移動したときあなたの体はどこにあるだろうか。
家のキッチンに立っているときはどうだろうか?
駅から職場まで歩いているときはどうだろうか?
また、遠く離れた外国にいるときはどうだろうか?
繰り返しになるが、自分の体が「ここ」にあるときに私たちは「ここ」にいることになる。
どこの場所へ移動しても、自分のいる場所が必ず「ここ」になることに気がついたであろうか。
私たちは頭の中では、離れた場所にいる自分の姿をイメージすることはできる。
たとえば、昔住んでいた家や、先日職場で起きたことなど、過去の情景や出来事などを思い出したときなどには、 体がそこにあることを無意識的にイメージするものだ。
頭の中では、自分の体が「あそこ」にあったり「そっち」にあったりと、どこでも自由に移動できるということだ。
でも、それを考えているときの実際に自分のいる場所は必ず「ここ」になる。
時間でいうなら、頭の中では過去や未来に行くことはできるが実際は、今、現在にしかいることができない。
それは空間も同じなのだ。
家にいようが、職場にいようが、外国にいようが、私たちは常に「ここ」 にいるということになる。
逆にいうと、私たちは「ここ」という場所にしか、いることができないということだ。
私たちの認識では大地があり、スペースがあるこの地球上において、自由にあちこちへ移動できるように思っている。
でもこれは錯覚なのだ。
家の寝室からキッチンへ、家から職場へ、日本から外国へと、移動できたように思えても本当は移動してはいない。
飛行機に乗っているときに、離れた位置から地球を見ることができる。
このときこそ、地球上の遠く離れた場所に、自分が移動しているように思える。
でも、「ここ」という場所から移動していないということは、人間が動いているのではなく地球のほうが勝手に回っているということもいえる。
これをわかりやすく、地球儀にたとえて説明しよう。
人間が、日本を真上にした地球儀の頂上(地球の頂上)にいるとする。
そこから、地球儀の真下のアルゼンチンまで移動したとする。
地球儀でいうと、地球の裏側のアルゼンチンの位置まで人間が歩いて行くと、最終的には頭が下を向くが、実際の地球上では私たちの頭は常に上を向いている。
どこへ移動しようが、自分が地球の頂上にいるというわけだ。
なのでこの場合は、自分がアルゼンチンに行ったのではなく、アルゼンチンが自分のいる 「ここ」という場所にやってきたということになる。
ここまでお話ししてきたことから、次のようなひとつの結論が導き出される。
それは
人間は生まれたときから死ぬ日まで、常に地球上の同じ位置にいる
これが、私が冒頭で述べた宇宙から教えてもらった秘密である。
私たちは、家にいようと、職場にいようと、たとえ遠く離れた外国にいたとしても、まわりの背景が変わっただけで、宇宙の中で自分のいる場所は変わらないのだ。