よくスピリチュアルや非二元の世界では、時間は幻想であるといわれる。
過去も未来もなく、今現在だけが存在しているという、よくいわれるあの話だ。
だがこのことを聞いても、昨日の記憶があるから昨日という日の過去があった、または明日に思いを馳せることができるから明日という未来がある、などとやはり一般的な社会通念からするとなかなか理解しにくいことではある。
そこで今回は、前回の空間は錯覚であるという話に続き、時間も錯覚であるということについてお話しよう。
そこでまずあなたに聞かせていただきたいのだが、こんな経験をしたことはないだろうか。
仲の良い友人と話しているときや、何かに夢中になっているときなどに、まだ1時間くらいしか経っていないだろうと思って時計を見たら、もう3時間も経っていた。
逆に仕事中、暇なときなど時間が早く過ぎてほしい状況のときに、そろそろ1時間は経ったであろうと思って時計を見たら、まだ30分しか経っていなかった。
このように、そのときの状況によって時間が過ぎる感覚が変わる経験をしたことは誰でもあるのではないだろうか。
なぜ、1時間という時間が決まっているはずなのに、時の流れる速さが変わるのであろうか。
私たちは普段、日付、時間などの「時(とき)」を知るときに、時計とカレンダーという二つの道具を使っている。
これらの二つは、人間が「時」というものを認識できるように、決して狂うことがなく、 周期的に移動する天体の動きを観測した、過去の先人たちによって、便宜的に作られた道具だ。
人間には創造力がある。世の中にこんなものがあれば、などと創りたいものを頭の中でイメージして、それを物質化させることができるということだ。
テレビ、車、パソコンなど、私たちが日常生活で使っている、ありとあらゆるものはすべて誰かが最初に頭の中で想像して作り出したものだ。
もちろん時計とカレンダーも同じだ。
文明が発達する前のはるか大昔に、時計とカレンダーがあったはずがない。
つまり、時計とカレンダーという二つの道具ができてから、それに付随して「時」という概念が生まれたのだ。
なので、もし現代に時計とカレンダーがなければ、「過去」、「現在」、「未来」という連続的な時間の流れを感じることはできないだろう。
つまり、1時間前→今→1時間後、または昨日→今日→明日というように「過去」と「現在」と「未来」を区別することができないということだ。
これらの二つの道具が、もともと宇宙に存在していなかったということは太古の時代においても、そして現代においても過去も未来も存在していないということがいえるだろう。
時計とカレンダーが不可欠な現代の私たちの意識では、昨日にいた、または明日に行くなど、時間の枠を行き来し、過去や未来が存在しているかのような感覚を覚える。
でも、これは大変な錯覚で私たちは永遠に
今日という日の今現在
にいるのだ。
今日という1日を終え、夜眠りにつき、次の日に目を覚ましたとしても、起きた日は明日ではなく「今日という日」だ。
私たちは、カレンダーが示す日付と曜日という観念に支配され、明日が来たかのような錯覚を感じるのだが
明日という日は永遠に来ないのだ。
もちろん明日だけではなく、1年後という日も、10年後という日も、そして「1時間後という時」が来ることもない。
私たちにとっては常に、「今」という瞬間があるだけなのだ。
時計という機械が示す1時間が、私たちに3時間に感じようと30分に感じようと、時間が物理的に存在しているわけではない。
時計の針は動いていても、時間が動いているわけではないということだ。
ここまで長々とお話してきたが、結局、過去や未来があるなどという概念は妄想に過ぎず、今現在だけがあるということ。
これがスピリチュアルや非二元で、時間が幻想であるといわれる所以なのではないだろうか。