私はサバイバルキットに必ず食糧・・・チョコバーとかカロリーメイト系とか羊羹とか・・・を入れてます。
ポーチの空き容量に入れられるだけ・・なのでごく少量です。
日本の市販品サバイバルキットには薬品類はもちろん、食品系が入ってるものもごく稀ですが、海外の市販キットにはエネルギーバーとかチョコレートとかキャンディーが入っているものが珍しくありません。
スープとかコーヒー・紅茶も―
もちろんこちらも、小さなキットの中で、他のツール類の隙間スペースに収まっているわけですから量はごくわずか―
非常時の飢えを満たすにはどう考えても力不足・・に思えます。
しかしキットの非常食は単純に飢えを満たすためのものではありません。
どれだけ少量であっても『ある』ことに意味があるのです。
これを考える時、ずっと昔読んだ物語を想い出します。
むか~し むかし・・
昭和の時代の国語教科書です。・・・・中学生だったかなあ・・
そこに載っていた『一切れのパン』という小説です―
要約するとこんな感じ―
第二次大戦の真っただ中、ルーマニア人の『わたし』は敵国ドイツ軍に拉致され、同じ境遇の人たちと共に列車で護送されていました。
『わたし』は数名の仲間と共に脱出を試みます。
うまいこと列車の床に穴をあけて逃げ道を確保しましたが、脱出の際、一人の年老いたユダヤ人に呼び止められ小さなハンカチの包みを渡されます。
彼はラビ(ユダヤ教の牧師)でしたが、ルーマニア人として捕まっていため
、最悪の迫害は回避されていて、それを幸運に思っていました。
脱走計画に参加して逃亡生活を送るには歳をとりすぎてるし、このままルーマニア人捕虜になっている方があなたには最善では・・という『わたし』の助言に従い、ラビは列車に残ることにしたのです。
ハンカチの中身は『一切れのパン』・・だとラビは言いました。
そして最後の別れの際にこんな忠告をします。
「このパンは、ハンカチに包んだまま、できるだけ長く持っているようにしなさい。苦しくてもパンを一切れ持っていると思うと、がまん強くなるものです。わたしも今まで、そうやってずっと持ってきたのです」
こうして『わたし』の地獄の逃亡劇が始まります。
仲間ともはぐれ、ただ一人飢えと疲労と恐怖の中、何度もこのハンカチの包みを解き、パンを食べてしまおう・・という誘惑に駆られます。
しかし―
ハンカチの上から触れるパンの感触はカチカチで、ラビは本当にこのパンを長い長い間、食べずに持っていたようです。
食べてしまったらそれでおしまい・・希望が消失するに違いない・・ラビにできたなら自分ももう少し頑張れるはずだ!・・・
そう思い直し、『わたし』は誘惑に打ち勝って先へ進むのでした。
そしてついに『わたし』は国境を超え、故郷のわが家へとたどり着きます。
妻の作る料理の前で、『わたし』はふとラビにもらったパンを想い出しハンカチ包みを取り出します。
妻 「なんなのそれ?」
『わたし』 「僕を救ってくれた一切れのパンさ」
しかし包みを解くとそこにあったのは・・一かけらの木片でした―
「ありがとう、ラビ・・・・」
何を思ってラビはこんな木片をパンだと称して渡したのか・・ひねくれた解釈も多々ありますが・・・・
まあ基本的に『わたし』のためにラビが精いっぱいの知恵を働かせて『心の支え』を手渡した・・・という物語です。
一かけらの食料が、困難を乗り越えるための『心のよりどころ』になりえるというお話でもあります。
もちろんフィクションではあるのでしょうが、十分説得力のあるお話だと思いませんか?