「ゆぅや~、やっぎ~らぁ」
クエンティン・タランティーノの能天気な声が耳にコダマします。
言うまでもなく、第57回カンヌ国際映画祭最優秀男優賞を獲得した作品です。
見た後、落ち込むだろうなぁ・・・とは予想していました。
見事に落ち込みました。
作風はまったく違いますが、この落ち込みは「ダンサー・イン・ザ・ダーク」以来です。
自分の知らない世界を目の前に突きつけられ、消化不良を起こしている。
今のところ、自分ではそう理解しています。
この映画の登場人物たちは、まるで戦場を生きているようです。
過酷な運命、状況に負けることなく、たくましく生きる戦場の子供たちのようです。
周囲のおとなに甘えることなく、自分の力で生きようとしている。
そこには、笑いもやさしさも、人間らしいあらゆるものがあります。
あまりに愛らしい子供たちの姿に、思わず笑顔さえこぼれます。
でも、笑いながらなぜか胸が締め付けられるように痛いのです。
彼らをかわいそうだと思うことそのものに、私は罪悪感を抱きます。
この哀れみのような感情は、私の驕りなのではないのか。
物質的に、環境的に恵まれて育った私の、生ぬるいモラルが生む自己満足なのではないか。
彼らは、私の同情心なんか決して喜ばない。
彼らのほしいものはそんなものじゃない。
映画は淡々と置き去りにされた子供たちの日常を描きます。
それは、ドキュメンタリー作品と錯覚するほどの自然な映像です。
自然な笑顔、自然な会話、自然なしぐさ。
彼らにとって当たり前の日常がそこにはある。
良い悪いじゃない、現実がそこにある。
そして、私のような単純な価値観を持った人間が短絡的に価値付けをすることを拒む何かが、そこにはあるのです。
エンドロールの間、私はなすすべもなくスクリーンを見つめ、ただ呆然とするしかありませんでした。
この映画に関して、私の中に結論はありません。
映画はフィクションですが、そこに描かれていることは現実です。
私にできることは、現実をそのまま受け入れること。
そして、答えのないまま考え続けること。
この映画は、稀有な状況に置かれた子供たちの物語という体裁をとった、すべての人々の物語なのかもしれない。
「誰も知らない」公式サイト
merino
クエンティン・タランティーノの能天気な声が耳にコダマします。
言うまでもなく、第57回カンヌ国際映画祭最優秀男優賞を獲得した作品です。
見た後、落ち込むだろうなぁ・・・とは予想していました。
見事に落ち込みました。
作風はまったく違いますが、この落ち込みは「ダンサー・イン・ザ・ダーク」以来です。
自分の知らない世界を目の前に突きつけられ、消化不良を起こしている。
今のところ、自分ではそう理解しています。
この映画の登場人物たちは、まるで戦場を生きているようです。
過酷な運命、状況に負けることなく、たくましく生きる戦場の子供たちのようです。
周囲のおとなに甘えることなく、自分の力で生きようとしている。
そこには、笑いもやさしさも、人間らしいあらゆるものがあります。
あまりに愛らしい子供たちの姿に、思わず笑顔さえこぼれます。
でも、笑いながらなぜか胸が締め付けられるように痛いのです。
彼らをかわいそうだと思うことそのものに、私は罪悪感を抱きます。
この哀れみのような感情は、私の驕りなのではないのか。
物質的に、環境的に恵まれて育った私の、生ぬるいモラルが生む自己満足なのではないか。
彼らは、私の同情心なんか決して喜ばない。
彼らのほしいものはそんなものじゃない。
映画は淡々と置き去りにされた子供たちの日常を描きます。
それは、ドキュメンタリー作品と錯覚するほどの自然な映像です。
自然な笑顔、自然な会話、自然なしぐさ。
彼らにとって当たり前の日常がそこにはある。
良い悪いじゃない、現実がそこにある。
そして、私のような単純な価値観を持った人間が短絡的に価値付けをすることを拒む何かが、そこにはあるのです。
エンドロールの間、私はなすすべもなくスクリーンを見つめ、ただ呆然とするしかありませんでした。
この映画に関して、私の中に結論はありません。
映画はフィクションですが、そこに描かれていることは現実です。
私にできることは、現実をそのまま受け入れること。
そして、答えのないまま考え続けること。
この映画は、稀有な状況に置かれた子供たちの物語という体裁をとった、すべての人々の物語なのかもしれない。
「誰も知らない」公式サイト
merino