今須の一里塚なう
京都方面に向かいます


今須宿に入ります




今須橋を渡ります




案内看板などが集まっています


今須宿の案内

とうとう岐阜最後(最西端)の
宿場町までやってきました



今須宿は関ケ原宿から1里
次の柏原宿へも1里


家康が関ヶ原後に石田三成の居城を
攻める際に腰掛けた石が
腰掛石として妙応寺に残っているとか

ここは妙応寺門前の広場
トイレがあったので使わせていただきました




1里先の柏原宿を目指して歩きます
柏原宿は岐阜県ではなく滋賀県…
県境を越えることになります


風情があります

家屋の隅に大黒天…

「戌亥の隅」というやつかしら?
私が暮らす横浜では見たことがありません




車返しの坂
風流人の言い伝えの場所…




中山道、寝物語の里は0.3km先


ここは今須宿



車返踏切
…風情のあるネーミングで好きです






松尾芭蕉に関係する石碑など

正月も 美濃と近江や 閏月(芭蕉)
…寝物語で詠んだ句




さあ、県境です

「寝物語」

近江美濃両国境寝物語

岐阜県(美濃)、滋賀県(近江)のどちらも
「寝物語」の碑を建ててるのか

この水路が境

寝物語の里

番所や旅籠で水路の向こうの
隣国のひとと寝ながら話せたことから
寝物語と呼ばれるようになったとか

広重の「今須」にも寝物語は登場

司馬遼太郎の「国盗り物語」にも
近江の浅井氏との国境…
「寝物語ノ里」が取り上げられ
国境攻略に悩む美濃の信長が
妻の濃姫に国境の寝物語を
「寝盗ってみるか」とひとりごちる
シーンがあったような記憶があります




寝物語を通過して少し行くと

またも家の隅に…

大黒様と布袋様
…これも戌亥の隅というやつかな


私には大黒様と布袋様が
根物語しているように見えました

米原市消防団…
もう、岐阜ではなく滋賀になったのか




⑥に続きます