関ヶ原古戦場のハイライト…
大谷吉継の陣跡を見た私たちは
山中(ヤマナカ)の高札場跡近くの
休憩所で駅のそばで購入した菓子
「ふわっと関ヶ原」をいただきました



抹茶味が石田三成の家紋(私)
ちょこあんが大谷吉継の家紋(カミさん)


さあ、前進です


黒血川
壬申の乱のとき、戦いの流血で
川が黒くなったとか


鶯の滝



関ヶ原でハイになったため
少し気抜けしながら私は進みます


この先に「常盤御前の墓」

スグソコ

これがそうみたい

常盤御前は源義経の生母で
絶世の美女だったとか
牛若丸(義経)を案じてここに至り
盗賊に襲われて亡くなったと言われます

芭蕉句碑もありました


お墓の次は常盤地蔵


これ?



こっちが常磐地蔵か



水路の水が透き通っていました


常盤地蔵あたりから
鄙びた感じになります


私はふと思い出しました

織田信長の「山中の猿」

信長は岐阜と京都とを行き来し、
そのとき「山中」に
身体障害の乞食が同じ場所にいるのに
気づきました

風雨にさらされても乞食はそこにいます

信長が安土城を作り始める前年、
信長は山中の村人に尋ねました

あの乞食はなぜ同じ場所でああしているのか?

村人は恐る恐る答えました
あいつは「山中の猿」と呼ばれており
先祖が山中で常盤御前を殺害したため
その祟りでああなっている…と

信長は不憫に思ったようで
荷物から木綿20反を村人に与え

この半分で猿に住まいを作ってやれ
もう半分で暮らせるよう計らってくれ
米や麦の時期になったら、猿にも
少しは分けてやってくれると
信長は嬉しいぞ…と


意外と慈悲深い?


この言葉に村民は感じ入り
涙を流す者もいたとか…

この話はキリシタン宣教師の書簡にも
残っています

秀吉や家康にはこうした弱者救済の
エピソードの記憶はありません

便宜を図らってくれた村民などに
納税を免除するようなエピソードは
ありますが、縁もゆかりもない
乞食や身障者に施しを与えるような
逸話を私は知りません

そんなことを思いながら
私たちは山中を歩いていきます


JR東海道本線
中山道だけど東海道本線

山中踏切

こちらは京都方面

こちらは東京方面


山中踏切を越えると
まさに山の中へ続くような道に

鳥獣保護地区…岐阜県

そろそろ岐阜県も終わりだなぁ

山中の猿はこんなところに
暮らしていたのかしら
なんて思いながら登っていきます

ちなみにこの登り坂は今須峠
…峠とはいうものの
長野県の峠道に比べたら可愛いもの

ここが今須峠の頂上
常盤塚から1kmくらいとあるけど
常盤塚とは常盤御前の墓のことかしら



しばらく進むと21 号道路に出ました






21号道路沿いに一里塚

今須の一里塚は江戸日本橋から114里目
ゴールの草津追分が129里目なので
114/129で88%は歩いてきました



続きは⑤です