さあ、前進です
こっちが常磐地蔵か
水路の水が透き通っていました
常盤地蔵あたりから
鄙びた感じになります
私はふと思い出しました
織田信長の「山中の猿」
信長は岐阜と京都とを行き来し、
そのとき「山中」に
身体障害の乞食が同じ場所にいるのに
気づきました
風雨にさらされても乞食はそこにいます
信長が安土城を作り始める前年、
信長は山中の村人に尋ねました
あの乞食はなぜ同じ場所でああしているのか?
村人は恐る恐る答えました
あいつは「山中の猿」と呼ばれており
先祖が山中で常盤御前を殺害したため
その祟りでああなっている…と
信長は不憫に思ったようで
荷物から木綿20反を村人に与え
この半分で猿に住まいを作ってやれ
もう半分で暮らせるよう計らってくれ
米や麦の時期になったら、猿にも
少しは分けてやってくれると
信長は嬉しいぞ…と
この言葉に村民は感じ入り
涙を流す者もいたとか…
この話はキリシタン宣教師の書簡にも
残っています
秀吉や家康にはこうした弱者救済の
エピソードの記憶はありません
便宜を図らってくれた村民などに
納税を免除するようなエピソードは
ありますが、縁もゆかりもない
乞食や身障者に施しを与えるような
逸話を私は知りません
そんなことを思いながら
私たちは山中を歩いていきます