干し柿を作っているのかしら


900m先の大谷吉継陣跡は
中山道沿いなのでそちらへ歩きます



地名が「山中」になりました

答えは「②藤堂高虎」だと思います



「藤下」と書いて「とうげ」の
跨道橋で道路を渡ります

歩いて来た中山道

これから歩いていく中山道


一説によると
関ケ原の戦いの主戦場は
「関ケ原」ではなく「山中」だった
石田三成は「関ケ原」ではなく
「藤下」で指揮をしていた…と
番組で紹介されていました



そうなると
うえの跨道橋からの長めこそ
天下分け目の戦場の見晴らしなのかも


大谷吉継陣跡は490m先


電信柱の「武将物語」も
大谷吉継を介錯した家臣 湯浅五助の
悲しい顛末が記されていました
…かなりディープな内容です

ゲームにも登場する湯浅五助


派手な自販機があります

大谷吉継と書かれてますね


関ヶ原で散った諸将のなかでも
大谷吉継ほど爽やかな印象の人物は
いないかもしれません

前日、カミさんと訪れた
岐阜関ケ原古戦場記念館でみた
CGによる合戦ダイジェストをみたあと
カミさんはすっかり大谷ファンとなり
合戦絵巻にCG合成する記念写真は
大谷吉継と一緒に撮影してもらいました


義に厚く誠実で、
最後まで奮戦した大谷吉継は
関ヶ原の華といえるでしょう

大谷吉継は島左近や石田三成と同じく
ゆるキャラになっていて
その人気の高さが伺えます

左から、しまさこにゃん、
おおたににゃんぶ、いしだみつにゃん


若宮八幡神社には
大谷吉継陣跡が残っています

陣跡まで310m、墓まで620m



もう二度とここには来ない
どうしても陣跡をみたいので
この駐車場で休んでいてほしい…と
私が申し出たところ
カミさんも付き合ってくれる…とのこと

それでは行こう

お宮の上の大谷陣地へ

若宮八幡神社…
境内にJR線が横切っています


なかなかの見晴らしです
ここで大谷吉継は松尾山の小早川秀秋に
睨みを効かそうとしました

さらに登っていきます

陣跡まで110m


80m


これかな?

ここだ


小早川秀秋の攻撃を跳ね返すも
さらなる裏切り…脇坂安治らにより
敗北を悟ったのか

脇坂安治は「賤ヶ岳の七本槍」の一人
合戦前から家康に内通していたため
戦後に寝返りではない…と
本領を安堵されています


ちなみに、垂井で登場した
平塚為広は大谷吉継とともに
戦っています
吉継は目が不自由だったため
平塚為広が前線で奮戦したのだとか


大谷吉継陣跡を堪能しました


大谷勢は小早川、小川、脇坂らに
三方から攻められ、
大谷吉継は藤川台で自刃したと言われます

このあと西軍は連鎖したかのように
弱体化し石田三成は敗走しました

関ヶ原は山中で決したことになります


大谷吉継の墓は
この陣跡より300m以上奥とされ
湯浅五助が命に代えて隠した場所へ
行くのも気がひけたので
私たちは下山することにしました


関ヶ原の余韻を残しながら
私たちは西に歩んでいきます

ここは中山道 間の宿山中


高札場跡
江戸期を通じて山中は旗本となった
竹中半兵衛の子孫たちの知行となったそうです



④に続きます