松尾交差点を通過しました


脇道に入ります
…昔は中山道だったところですが


美濃不破関の案内が出てきました




少し進むと…


不破関跡

壬申の乱のあとに
東海道の伊勢鈴鹿関、
北陸道の越前愛発関とともに
東山道に美濃不破関が設けられ、
三関と呼ばれました
(のちに近江逢坂関が加わる)


壬申の乱はクーデターを起こした
大海人皇子(のちの天武天皇)が
交通要所の不破を塞いだことで
優勢を保ち勝利を得ました
これを教訓に関所が置かれました


関所を過ぎると急坂になります
…京都からみれば、坂の上に関所が築かれたのですね

不破関守阯

すごい急坂

この付近に
不破関西城門が置かれたとか



そして坂の下には藤古川




別名「関の藤川(藤古川)」
壬申の乱ではこの川を挟んで両軍が
睨み合いをし、
関ケ原の合戦では大谷刑部(吉継)が
川の上の丘陵地に陣を構えたそうです


東軍 福島正則陣跡 490m
西軍 大谷吉継墓・陣跡  860m
小早川秀秋陣跡 2.7km

ちょっと地下鉄表示っぽい


中山道は大谷吉継陣跡の方向に続きます
そして、それは坂を登ります


登ったところに大谷吉隆墓の石碑
大谷吉隆とは大谷吉継のこと
7 丁先…1丁が109 mなので770mほど先



矢尻の池(井)
…水を求めて矢じりで穴を掘った
…こんな標高の高いところで??
…どう考えても無茶だと思うのだけど…





③に続きます