垂井町を西に進んでいます

5/2〜4に曳船まつりがあるのか


門前に高札場がある本龍寺




ここが西の見付
…ここまでが垂井の宿場町





さぁ、関ケ原を目指し歩きます

松島通過

出屋敷踏切通過


跨道橋を通過


雨が降る前にとにかく前進です


垂井一里塚
江戸日本橋から112里目

関ヶ原の戦いのとき
浅野幸長がここに陣を置き、
南宮山の毛利勢に備えたそうです


浅野幸長は豊臣家恩顧の大名でしたが
東軍のために大いに働きました
西軍は豊臣家のため…とPRしましたが
浅野幸長、福島正則、加藤清正らの
豊臣親族大名がこぞって東軍に
加わったのは西軍側には
想定外だったでしょう

この日は国史跡の
垂井一里塚のお祭りでした
…一里塚祭りって何をやるのかしら?




つぎには徳川家康最初陣地か



「これより中山道 関ケ原町」
いよいよ、岐阜県最西端の関ケ原町



そして「ここは関ヶ原宿」



関ヶ原マンホールで記念の一枚


沿道の伊富岐神社鳥居


伊富岐(伊吹)神社は美濃国二宮で
伊吹山を背負う立地にあるとか




関ヶ原は伊吹山をはじめとした
丘陵に囲まれた狭い地形にあります

そんな場所で関ケ原の合戦が
行われたことになります





③に続きます