中山道てくてく歩き 34⑥【〜青墓〜青野ケ原一里塚】私なら「昼飯大盛古墳」と命名します…というわけでヒルメシではなくヒルイ町を西に歩いております青墓町に至りましたさきほどの昼飯大塚古墳のほかにこの近くには粉糠山古墳があります「青墓」という地名は大きな墓…大墓が転じて「青墓」になったのだとかだんだん日が暮れてきました照手姫水汲井戸…照手姫について、調べてみたんですがなんかイマイチ頭に入りません遊女にされそうになったものの客を取らなかったためここで水汲みさせられた伝承がありますでも照手姫とか小栗判官とか…関東地方の話じゃないの??そういえば、前述の粉糠山古墳には遊女の粉糠が積もり山となった…という悲しい言い伝えがあり…それと照手姫の遊女拒否のくだりがリンクしたのかもしれませんね青墓の芦竹庵…源義経伝承の場所…義経ほど伝承地があるひとっていないよね遠くに「ぎふの米」というキャッチコピーが見えます関東人なので岐阜のお米には馴染みがなく、どんな感じなのかしら…と気になります日が沈んできました「中山道 青墓宿」「中山道」に青墓宿はありませんが古代・中世の「東山道」で青墓は宿場町だっそうです先ほど通過した兜塚は1.8km前だったのか沿道のミニストップ大垣青野町店で飲料水購入とトイレ休憩遠くに見えるのはエアーズロック?なんか掘削されてないか?赤坂港から運搬されていたものに石灰石があります赤坂付近…とくに金生(きんしょう)山からは良質な石灰石が採れたそうです石灰は肥料や除草剤、防虫剤などに使われたそうです沿道の看板に「西美濃」という文字…いよいよ岐阜も西部にやってきましたますます日が落ちてきました日本橋から111里目(ゾロ目)、青野ケ原の一里塚までやってきました⑦に続きます