私なら「昼飯大盛古墳」と命名します


…というわけでヒルメシではなく
ヒルイ町を西に歩いております


青墓町に至りました
さきほどの昼飯大塚古墳のほかに
この近くには粉糠山古墳があります


「青墓」という地名は
大きな墓…大墓が転じて「青墓」になったのだとか

だんだん日が暮れてきました


照手姫水汲井戸
…照手姫について、調べてみたんですが
なんかイマイチ頭に入りません
遊女にされそうになったものの
客を取らなかったため
ここで水汲みさせられた伝承があります
でも照手姫とか小栗判官とか…関東地方の話じゃないの??

そういえば、前述の粉糠山古墳には
遊女の粉糠が積もり山となった…という
悲しい言い伝えがあり…
それと照手姫の遊女拒否のくだりが
リンクしたのかもしれませんね


青墓の芦竹庵
…源義経伝承の場所
…義経ほど伝承地があるひとっていないよね






遠くに「ぎふの米」という
キャッチコピーが見えます
関東人なので岐阜のお米には馴染みがなく、どんな感じなのかしら…と気になります



日が沈んできました

「中山道 青墓宿」
「中山道」に青墓宿はありませんが
古代・中世の「東山道」で青墓は宿場町だっそうです


先ほど通過した兜塚は
1.8km前だったのか


沿道のミニストップ大垣青野町店で
飲料水購入とトイレ休憩



遠くに見えるのはエアーズロック?

なんか掘削されてないか?
赤坂港から運搬されていたものに
石灰石があります
赤坂付近…とくに金生(きんしょう)山からは良質な石灰石が採れたそうです
石灰は肥料や除草剤、防虫剤などに
使われたそうです


沿道の看板に「西美濃」という文字…
いよいよ岐阜も西部にやってきました


ますます日が落ちてきました


日本橋から111里目(ゾロ目)、
青野ケ原の一里塚までやってきました



⑦に続きます