新那加駅のそば


へー「新那加」が間の宿だったんだ
鵜沼宿と加納宿の距離が17kmあるので
ここが間の宿として整備されたのか


そんな間の宿・新那加を通り過ぎます


濃川という川


ここらへんは住宅地というよりは
田畑が広がっています

鵜が鮎を追っているマンホール

これは岐阜市のマンホールなので
そろそろ岐阜市に入ったらしい


近くの駅名にもなっている
「高田橋」で境川を越えます
ここも昔、濃尾の国境だったのかな?


蔵前に入りました

そろそろトイレに行きたくなった…と
喫茶店「サリ」さんに寄ります

注文の品が出てくるまでに
信長も手厚く遇したという手力雄神社へ

ここかな?

神明神社?手力雄神社じゃないの?

うろうろしていたら広大なスペースに
手力雄神社を見つけました

御由緒

信長の美農攻略や
関ケ原合戦の前哨戦など
長森口という尾張→美濃の進路上の
この土地は戦禍に巻き込まれたらしい

神社のサイトによると
織田信長と手力雄神社には
こんな言い伝えがあるとか…

ご神威を感じた信長は
稲葉城(岐阜城)攻略の戦勝祈願し
それを成し遂げたのだとか…

霊験あらたか、ご利益ばっちり
さすがはハンドパワー神社

織田が長森を攻めたとき、
先陣は柴田勝家と森可成だったので
信長と両将が戦勝祈願したのかな…と
アイスコーヒーを飲みながら考えました

たまたまですが
岐阜市で対象店舗のPayPay決済で
ポイントバックのキャンペーン中で
お得に小休憩させていただきました

しばらく中山道を進むと
手力雄神社の鳥居前に出ます
私は横道から参拝したことになります


長森南…という地名があったので撮影


地名「切通」の由来

このあたりは境川に面した湿地帯で
滞溜水を境川に切り通し(流し)
整地された土地らしい



そのまま西へ

中山道を西へ

細畑を通過


シックな建物…

ここを曲がると「御成道」
尾張徳川家のお殿様が通ったのかな?


しばらく歩くと細畑の一里塚

東京日本橋から105里目

ここは道の両側に塚が残っています




⑤に続きます