「炭焼白湯ラーメンのぶなが」…
どんなのか、いまいち想像できない


岐阜の信長ラブはとても強く、
それが地域振興のためであるとしても
そもそも信長は尾張人なのに
問題ないのかな…と思ったりしますが

リバプールFCのストライカーが
エジプト人でもファンは熱狂するので
そういうのは関係ないのかもしれません


ファミリーマート各務原六軒店で
飲料水を補充し休憩します



しばらく歩いてたどり着いたのは…

「那加信長町」…
強い信長リスペクト…

少しコースアウトしたところにある
「那加織田町集会施設」…

その隣の「織田信長公園」

滑り台にも

「おだのぶながこうえん」

「織田信長公園」

織田信長に由来がある場所なのかと
ネットで調べてみましたが
何の関係もないようです(公園も町名も…)


余談となりますが
11月開催予定の「ぎふ信長まつり」、
今年は来年信長役で映画公開される
木村拓哉さんが騎馬武者行列に
参加することになり問合せが
殺到しているとのニュースが…





キムタクさんの人気はさておき
「ぎふ信長まつり」というイベントが
毎年行われていることに驚かされます
(調べたら武田信玄、上杉謙信、伊達政宗なども似たようなイベントあり)

町名となり、公園となり、祭りとなり
ラーメンにもなってしまう
岐阜の信長人気に私は圧倒されるのでした


さぁ、中山道に戻ります

 

各務原市民公園
保存樹木もある自然豊かな広い公園で
何かのイベントが開かれておりました




新境川に架かる那加橋


 
 
手元のガイドブックによれば
新境川は戦国時代のころ
美濃国と尾張国の境だったとあります


いろいろ調べると
美濃・尾張の境は別の「境川」とか
たびたび木曽川は氾濫して
川の位置が変わった…という話も…
(木曽川が現在のポジションに落ち着いたのは徳川時代になってかららしい)

和田峠の民宿「みや」のご亭主が
中山道といっても災害などの影響で
ルートは何回も変わってきた…といった
ニュアンスのことをお話していたのを
いまさらながらに思い出し
国境などもそんなものなのかも…と
思いながら、橋を渡るのでした


信長の頃であれば
ようやく美濃国に入ったところ


各務原市那可を西に向かって歩きます

岐阜まで9km、大垣まで22km
どちらもお城がある街ですね


そういえば
関ヶ原の戦いの前哨戦…が
木曽川のあたりであったよな…と
私は記憶を呼び起こしていました

私の歴史知識の多くは
司馬遼太郎さんの小説とエッセイに
頼っており、私は学生時代に読んだ
「関ヶ原」を思い出していました


有名な「関ヶ原の戦い」は
結果的に関ケ原で行われましたが
石田三成も徳川家康も
関ケ原で戦おうと
企んでいたわけではありません

徳川家康は豊臣の諸将と
会津の大名・上杉景勝を討つため
日光街道・小山まで進軍したとき
石田三成ら西軍が挙兵したため
そこからUターンして西に向かいました

家康は東軍を2つに分け
東海道と中山道で進軍させました


東海道組の軍勢(先発隊)が
先に美濃にせまり
尾張・清洲城主の福島正則と
元岐阜城主の池田輝政が
二手に分かれ木曽川を渡ります

そこで関ヶ原の戦いの前哨戦となる
「河田木曽川渡河の戦い」となりました






西軍の織田秀信(信長の孫)

東軍の河田口の諸将
・池田輝政(徳川家康の娘婿)

・浅野幸長(豊臣寧々の甥)

・山内一豊(妻は大河ドラマ主人公)


どうやら、私たちが歩いている付近で
岐阜城主の織田秀信が
渡河して来た池田輝政らを
鉄砲で迎撃したものの
東軍のほうが数が多かったため
織田勢は岐阜城に撤退しています


私たちは中山道を西に進みます


道標?

蛙(かえる)だ

なにか由来があるのかな?


一里塚を過ぎたとこ、いろいろあるな

情報のスクランブル交差点、
情報の大渋滞だ


日吉の蛙…

 ここは新加納駅に近いのか

カエルはこれか…
日吉神社の「げえろ祭り」

空腹でイタズラしていた大蛙に
ご馳走を与えたら良いことをする
福蛙になった…と


薬はやっぱり「ガマの油」??


とりあえず「日吉の福蛙」と彫れば
有難味も増したろうに…


余談ですが
私が何度も読み間違えて
「げろり」「げろり」と読むたびに
カミさんに「げえろ」と訂正されたのは
ここだけのお話です


④に続きます