濁川をわたった私たちは甚平坂へ
ゆるやかな坂を登ります
馬塚
開けたところに来ました
甚平坂
根津甚平に由来の地名
明治天皇巡幸のとき坂を整備し
坂の標高を2m下げたとか…
(皇室特権ならぬ皇室土木?)
下半分が草に隠れてるけど
たぶん「甚平坂」と刻まれています
中山道 甚平坂公園
今度は「犬塚」です
甚平坂の由来となった
根津甚平の化け鳥退治と馬塚、犬塚の話
化け鳥、雉がいたとは思いませんが
何かの喩え(隠喩)なのでしょうか
他のサイトによれば退治を命じたのは
源頼朝と明記されており
鎌倉幕府にとって都合の悪い勢力を
追いやった物語なのだろうか?
信州の桔梗ヶ原といえば塩尻にあり
甚平一行は悪者の雉を塩尻から
ここ大井宿甚平坂まで追いつめますが…
雉の毒気にやられたのか
馬が倒れ、甚平も絶命します
忠義の犬と一行は甚平が亡くなっても
雉を西へ追い掛け
日吉(岐阜県瑞浪市)までいったところで
犬も力尽きます
日吉まで逃げた雉は
その後、姿を現すことはなくなり
塩尻をはじめとする中山道(東山道?)は
旅しやすくなったと言われます
また雉が逃げ込んでから
日吉は物騒な問題が続いたため
「たたりだ」と村人が恐れ
日吉大明神を建てて、たたりを鎮めたそうです
犬塚
犬塚から少し甚平坂を登ります
④に続きます