2022/5/1
2022GW歩き旅2日目
(を8/1…3ヶ月後にアップする私)


7時に起床、
曇天ですがいつ雨が降り始めても
ちっともおかしくない天気予報

恵那駅でタクシーを拾い
2000円かからずに前日ゴールの
餃子の王将 中津川インター店へ

ローソンでミネラルウォーターを買い
8時に出発


王将の脇を降りて旧中山道へ


FKDが見える昨日のドロップポイント


さぁ、今日も中山道歩きです
指を指している舗装脇の…
黄色か茶色か微妙なカラーの舗装が
旧道らしく迷わないガイドとなります


(・∀・)
このガイド舗装は分かりやすくて
とても良いと思います
つまらない土木工事より地域交流に
役立つインフラ投資だと私は思います


六地蔵石憧


六地蔵石憧って何だよ…と
ガイドブックに目を落として
ハッとさせられました

中津川のところに
「中津川会議」とあり
幕末、長州藩の志士 桂小五郎が
藩主 毛利慶親に面会し
公武合体に傾いていた藩の方針を
尊皇攘夷に一変させた土地が
中津川だったことを思い出しました


桂小五郎(木戸孝允)


(´・ω・)
薩摩や土佐にくらべて
長州藩っていまいち興味を持てなくて
すっかり忘れてたよ
…そもそも記憶も薄れてたよ


千旦林バス停

千旦林の高札場


遠い先に見える山は「笠置山」
ぎふ百山に数えられる標高1128m



手差し道標

右に行けば旧国道大井町へ
左に進めば新国道美乃坂本駅へ



左の黄色っぽい舗装路が旧中山道


旧中山道を歩いていると
しばしば和宮降嫁の遺構に遭遇します

毛利藩はもともと「公武合体」で
天皇家の和宮(公)が徳川将軍家(武)と
結ばれる方向に賛成派だったわけですが

桂小五郎が熱弁をふるい
藩主を説得して「尊皇攘夷」へと
政治方針を変えさせたことを思うと
ただの道の分岐点も
意味深く感じたりするのでした


再び笠置山を眺めなが歩を進めます

今日はあいにくの曇り空
昨日のように晴れてくれればよかったのに


お地蔵さんか道祖神か馬頭観音か…
通らせていただきます


三ツ家の一里塚
江戸から86里目です


私たち夫婦の中山道歩き旅では
日本橋から草津宿本陣を歩こうとしています
草津は中山道と東海道の合流点で
すでに東海道を踏破した私たちとしては
草津の追分(合流点)を過ぎたところの
草津宿本陣がゴールで良いかな…と
思っております


草津宿は中山道では129里目にあり
ここ86里目はその2/3地点となります

2/3…
86里≒338km
思えば遠くまで歩いてきました

ちなみに
1/3地点にあたる43里目は
長野県の佐久平駅の付近で
2019年10月21日のてくてく14のとき
通過しています

佐久平駅といえば
北斗の拳マンホールがあったところ
(原作者の生まれ故郷駅のための展示)


1/3通過が第14回、
2/3通過が第28回ということは
ゴールは第42回なのだろうか?

そんなことを思いながら
ゆるゆると進んでいきます

結局、一歩一歩の積み重ねなのですから

千旦林地下歩道で新道をくぐります


中津川市のシンボル、
この笠置山は青空で見たかったなぁ


茄子川村の立場跡


笠置山と水田

市街地を進みます


いろいろ看板があるな

「尾州白木改番所跡」
(びしゅうしらきあらためばんしょあと)

木曽につながる街道ならではの場所

尾張藩の直轄地・木曽産の材木の
搬出を厳しくチェックしたところ


貴重な財源というのもあるでしょうが
築城などにつながる物資としても
監視されていたのでしょう


いまはこんな感じで味気ないけど…



②に続きます