巴淵のそばの案内


the most beautiful
villages in japan
木曽町
長野県


(´・ω・)

長野県といったらお蕎麦

長野県といったら御嶽山



蕎麦は新蕎麦がよい
御嶽山も冠雪したときに見たい 

そして11/21(土)~23(祝)は
2020年最後の連休

冬季になれば
新型コロナ第三波が襲来し
ステイホーム日本になる恐れも
ゼロではありません


美しい木曽町への旅


いつやるの?


しかし、
宿や交通の予約をとった途端、
天候が怪しい展開に…


それでも11/22(土)は
晴れ予報なのでこの日に
進んでしまいたい

というわけで
朝からエネルギーチャージ


理由
①晴れ予報の土曜に進みたい
②肉体労働で重度の筋肉痛あり
③今回は荷物が多い

そう、普段のリュックはこう
カミサン15㍑、私20㍑、計35㍑
今回
カミサン20㍑、私23㍑、計43㍑

ざっくり普段の2割増


なんでそうなったのかと言えば
木曽路の天候が不安定だから
ギリギリまで旅に行けるか読めず
荷物を送れませんでした…

結果として背負うことになり
私は普段のmont-bellより
かなり重いノースフェイス製に
翌日の衣類や雨具を詰めることに…

ちなみにリュックの重量…
荷物ゼロの状態で
紺リュック(20㍑)は0.6kg
白リュック(23㍑)は1.1kg

さらに白リュックには
翌日の着替えなどを詰めたため
普段より1キロ以上重くなりました


理由②にあるように
金曜日に身体を酷使し
筋肉痛や疲労が残っていたため
リュック&荷物の重量増は
私としてはキツい問題でした


早朝起床し「あずさ1号」などで
木曽福島へ



3週ぶりの義仲くんと巴ちゃん
「ようこそ 木曽路へ」
会いたかったよ、おふたりさん

後白河法皇や取り巻きは
木曽のことをバカにするけど


私は木曽…好きです


前回は雨模様だった木曽福島駅前
今回は晴天です

前回の続きはこの方角

手袋を忘れたカミサンが
駅前土産店で蛍光ピンクの手袋を購入

準備体操して歩数計オン


それでは旅の再開です

えーとこっちかな…
中山道名所の木曽の桟って
書かれてるし

坂道を何分か下りて気づきました

ルートを間違えた…

スタート早々、ルートミス
…しかも坂道をUターンすることに


本ルートに戻ります

この狭いルート

本当にここが江戸時代の
主要道路だったのだろうか…



急傾斜地崩壊危険地域…

天気がいいなぁ
空気が澄んでいて見晴らしもよい

右手の「安全第一」

雪道でスリップしたら
命を落としても不思議がない落差

左手から落石があれば
避けられるだろうか…

怖いなぁ

塩渕…

「ここは塩渕」

私たちは長野県を歩いています
戦国時代は武田信玄の領土でした

戦国炒飯TV「信プレックス」



「シンゲン ケンシン」

川中島の戦いでしのぎを削った
武田信玄と上杉謙信

武田信玄は上杉の他にも
あちこちで領地争いしており
領土に海をもたなかった
信玄を困らせようと反武田勢が
連携して武田に塩を売らず
その勢力を抑えようとしました…

上杉謙信も塩不売協力を
求められましたが
戦でなく塩で敵を追い詰めるのは
卑怯なことだと…謙信は
信玄に「敵に塩をおくる」
行動に出ました


その塩の乏しい長野県で「塩渕」?


地名由来
川の曲がる部分をシオと呼ぶのか


塩渕の一里塚を通過


中仙道の案内




自動車道沿いを進みます
右はJA、左は電気施設

ふたたび道標

よく確認して自動車道沿いの
狭道を登っていきます

木曽川と青空

右手には
木曽川に何かの施設…

なんだろ、ダムとか水力発電?


坂を登っていきます

ここは中平


(´・ω・) 
関西電力塩渕えん堤…?

先ほどのダムみたいのが
その塩渕えん堤ってやつかな?

堰堤(えん堤)とは
川の流れをコントロールし
土砂をせき止め、氾濫を抑えたり
発電にも利用できる土木構造物






甲州街道を歩いたとき
武田信玄が川の氾濫を防ぐため
築いた「信玄堤」を見学しました



川の氾濫はカーブするところで
発生しやすいため
曲流部のシオ渕は堰堤を造るのに
ぴったりだったのかもしれません


信玄がそうであったように
生活を脅かすリスクを治水土木で
制御するのは大切な問題です






ただ単にゼネコンや電力会社と
癒着した行政の可能性もあるけど




事実はオープンにはされず
立派な施設だけが残ります
信玄堤のように…


②に続きます