カラフルな鳥居峠



⬛12:48
一つ目の橋

横には沢が流れています

二つ目の橋

この時季にこの峠に入り
カラフルな森の美しさに触れられ
本当によかった



⬛12:52
くるみ沢展望台近くの道祖神

まだ峠まで1.6km…
下山も含めれば3kmはあるので
展望台の寄り道は止めました

カミサンは半年近く在宅勤務で
ステイホームな毎日を過ごし
運動量が落ちており
足腰が峠越えできるか不安…

日本各地で騒ぎになっている
熊の動向も気になるため、
山中の寄り道はなるべく
少なくしたい


彩り豊かな落葉
落葉が彩り豊かなのは変?


自然の美しさは素晴らしい

好きなシングルジャケットにも
通じるものがあります


君を留めるものはここにはない…と
ナッシング・イズ・キーピング・ユー・ヒアは歌われますが
この峠の魅力は私を惹き付けて止みません


頂上までは登りだけでなく
下りもちょいちょい入ってきます

フラットなところも所々

自然の美しさに見とれ
私は何度も立ち止まりスマホで
撮影します

足元を見ると栗が落ちています
他にもドングリなどもチラホラ
先ほどの「くるみ坂」と良い
この峠道は豊かな森のようで
熊さんたちの冬眠のための
食べ物には困らなそうです


そんなことを考えていたとき
スマホを落としてしまいました
拾い上げ、
また写真撮影しようとしたら
上手く作動しない…

(;・∀・) … あれ?

電源のオンオフをやったり
SDカードを抜き差ししたものの
良くなるどころか
ますます怪しくなります


(;・∀・) … マジか


両手に杖のカミサンは
すいすい先を進んでいきます


(;・∀・) … まずいな


⬛13:06
スマホと格闘し
オンオフや設定をいじりながら
私はノロノロ進みます
(200m程度歩数が抜けてるかも…)

こちらの東屋&看板のところで
一枚だけ上手く撮影に成功するも
奇跡の一枚だったのか
また調子がおかしくなります

こちらの看板は「葬沢」のもの

下の案内看板の説明によると
木曽義昌が武田勝頼軍に挑んだ
「鳥居峠の戦い」で大勝し
武田方の将兵をこの下の沢に
葬ったのだとか…


武田勝頼は
敵対していた織田方に裏切った
木曽谷領主で義弟(妹の婿)の
木曽義昌を攻めています

勝頼の従兄弟の武田信豊が
木曽義昌攻めの大将に選ばれました

木曽義昌の母は信玄の娘…
本来、木曽家は武田の家臣でなく
独立した勢力でしたが
武田信玄が信州だけでなく
鳥居峠を越えて木曽まで勢力を
伸ばしてきたため属領として
生き残るため縁戚関係になりました

武田信玄が死没したあと
武田勝頼が長篠の戦いで
織田方に大敗すると
木曽義昌は揺らぎました

武田勝頼からは新しい城を
新府に造るとして
重税と木材提供を命じられました

一方で織田方からは
武田を見限って織田に従うよう
誘いがきます

木曽義昌は織田側に
寝返ることにします

武田勝頼はそれに怒り
人質の義昌の母や親族を殺戮し
木曽侵攻を決めます

木曽義昌の親族が
殺されたことを受け
織田信長の長男 信忠は
木曽義昌に対して援軍を編成


木曽義昌は信州から木曽に向かう
武田軍を鳥居峠で迎え撃ちます

土地勘のある木曽義昌は
織田方からの援軍と力を合わせ
武田信豊らを峠で打ちのめしました

この鳥居峠の戦いの惨敗は
武田家中に激震として伝わり
穴山梅雪、小山田信茂ら重臣の
さらなる離反を生んでゆきました

「葬沢」は武田方の将士が
葬られたという逸話がありますが
武田家の武勇そのものが
ここに死んだように思えます

私は甲州道中歩きで
武田勝頼の由来の土地…
新府や終焉地をみてきたため
「葬沢」については深く思うところがありましたが…


(;・∀・) …
スマホの故障の方が気になって
それどころじゃねーよ…というのが
実際のところでした


⑤に続きます