関所はコロナウイルスで閉鎖





2020/3/21の歩行記録です

3/21は小池都知事が新型コロナの
「感染爆発の重大局面」と
指摘する直前の連休の3中日で…
その後の感覚からすると
かなり弛緩した面があることは
お許しください



私たちが宿泊したホテルは
塩尻駅のそばにありました

前日、私は21時過ぎには寝入り
当日は7時前に起床し、まず
天気予報のチェックしました

長野県のお天気は地区ごとに
細かく表示されます

長野県には日本アルプスがあり
地域が山脈で分断されているため
天候も一概に予測できないのかも…
ホテルの窓から見渡せる
穂高連峰や飛騨山脈を眺めながら
私はぼんやりと考えるのでした


昔、歴史番組で聞いた
『武田信玄は築城づくりに熱心で
領土を広げるとそこに山城を
築いた』…という説明も
信濃の地形に基づいた政策や
戦略だったのだろうと
私は思うのでした


ホテルを出て
7:40に塩尻駅へ

朝食は駅で食べます
日本一狭い立ち食い蕎麦屋さん

扉の幅も狭い…

中も大人二人が入ったら
「密」になってしまう極小空間
今なら小池都知事を真似て
「密です!」とやるところです

食べログで話題になるのも納得

いただいたのは
「信州山の恵み 信州鹿肉山菜そば」


蕎麦と鹿をクリア


次はワイン…

日本でここだけ ホームのブドウ園

塩尻駅の端

ワイン樽とぶどう園

塩尻はワイン産地

つまり葡萄の名産地

だからって葡萄園を
ホームに作る必要はあるのか?

JR東海のESG戦略なのかな
環境・(地域)社会・ガバナンスの
地域社会活動なのかもしれない

駅スペースで地域PR活動し
訪問者や産物販促に貢献できれば
JRとしては成功と言えるのかも


8:16塩尻駅→8:30贄川駅

木曽路最初の宿場…贄川宿
あくまで江戸から見たら…だけど

前日通過した
是より南木曽路碑のタイル

これはこれから見ることになる
贄川関所のイラストタイル


さぁ、南に向かって歩きましょう

新型コロナ感染防止のポスターが
駅に貼られています…

準備運動し
腕時計の標高をあわせて
8:36に贄川駅を出発です

さぁ、これなら贄川宿に入ります


(´・ω・) … それにしても
贄川(にえかわ)とはずいぶん
風変わりな地名です

贄って「生け贄」の贄ですよ?
川が荒れないように
生け贄でも捧げていたのか?

調べてみたら
昔、このあたりに温泉があり
「煮えて」いたので
贄川になったという言い伝えが
残っているそうですが
だったら「贄」より「煮」の方が
字が簡単なので採用すれば
良かったろう…と思う

そんなことを
カミサンに話しながら
19号線を歩いているうちに
木曾28km、中津川83km、
名古屋154kmの標識が
見えてきました


ブロ友さん情報によると
中津川まで行けば名古屋への
アクセスが良くなるそうですが
中津川って岐阜県なんですよ

つまり長野県…木曽にいるうちは
交通アクセスは期待できない…
ということです

(´・ω・) … ふーむ


とりあえず
私たちに出来るのは歩くこと

JR線越しに関所が見えます

8:42、
線路を跨ぐ「関所橋」を渡ります


「木曽節」の歌詞が書かれてます
後で知ったのですが
欄干を打つと木曽節のメロディに
鳴るのだとか…
(だれかYouTubeにアップして…)

欄干デザインは参勤交代っぽい


関所橋を越えたところに
再建された贄川関があります

8:45、贄川関所到着

各地の関所と同じように
徳川幕府はここで入念な
女性の身元確認を行っていました


別にスケベだから
女性かチェックしたのでなく
人質として江戸に集めた
諸大名の婦女が逃げ出さないよう
目を光らせていたわけです

ちなみに贄川関所では
女改めとあわせて「白木改め」にも
力を入れられていたそうです

白木改めとは
材木や木製の器具の持ち出しの
監視で材木名産の木曽ならでは…

ちなみに本来の贄川関所は
この地から西方にあったとか…


そんな復元関所は考古館として
木曽の歴史資料の展示施設として
利用されているのだとか…

しかし、このとき
新型コロナウイルス流行があり
休館されていました


( ̄□ ̄;)!!

大名も旅人も材木も
塞き止めてきた関所でも
感染症には押し切られるのか…


②に続きます