境川を越えると
この石碑が待っています


「是より南 木曽路」

その傍らには説明

「これより南木曽路」



(´・ω・) …
これだと「南木曽」と勘違いしない?
「木曽路 最北点」で良くない?



石碑の正面にある坂から
木曽路に入ります

木曽路は中山道でいうとココ

贄川宿~馬籠宿のこのあたりで
その北端に私達はいます


私たちが歩こうとしている
中山道(日本橋~草津)の526kmに
対して木曽路は87kmで
およそ1/6になります
(距離は手元資料による概算)

木曽路は上の看板で
「歌ニ絵ニソノ名ヲ知ラレル…」と
ありますが
中山道の浮世絵シリーズは
広重・英泉の「木曽街道」として
世に出されました


中山道=木曽街道
中山道=木曽を通る道


さあ、いよいよ
中山道ショートケーキの
イチゴに相当するであろう
木曽路ゾーンに入ります


では登りましょう


狭…

恐る恐る登り、振り返ると
小さくなった前ほどの石碑…

いかにも…な旧道
熊鈴…オンで進みます


さっきの自動車道は
ここよりずいぶん下…
低い標高のところにありました

江戸時代はこちらが本道で
あちらは存在していなかったと
思われます

あれは自動車走行のために
掘削して舗装されたルートで
急勾配や急曲線を避けて設計され
敷設されています

自動車道の敷設をあきらめた
悪所を私達は進んでいきます

この道は村人によって開削され
通行料を払って通った…と
ガイドブックにあります

うわぁ、落ちたら大変だ…

この道で本当に良いのだろうか…


ガイドブックで目印となる
石碑が見えてきて一安心

これが見つからないと
山道を迷走してるのではないかと
不安が深くなるところでした
仏様に手を合わせて通過します


左の柵は…きっと落石対策
左は落石、右は崖…


島崎藤村「夜明け前」は
中山道宿場町が舞台になっており
その書き出しは木曽路の説明から
始まります




木曽路はすべて山の中にある
岨づたいに行く崖の道であり…


まさに島崎藤村の説明通り

自動車が小さい…
そう、岨づたいの崖道だから…

先ほどの自動車道に再合流


無事に通れました
お地蔵様、有り難うございました

15分トレッキング終了
…やはり落石注意ゾーンなのね


下から見るとけっこう凄い崖…


崖道(山道)を越えたところの
桜沢茶屋本陣跡
明治天皇も御立ち寄りなされました
あの山道前後には休憩しないとね


私達は休まず前進

道端の標識に「名古屋」の文字
このあたりは江戸時代は
尾張名古屋藩の領地であったため
長野県のなかでも
名古屋や岐阜の文化の影響が
強いと言われています


奈良井川を右手に歩きます

ガイドブックによると
治水利水目的の片平ダム

ダム版のアルクマがあるらしい…
なんてことを話しながら進み


片平橋の手前で小休憩してから
奈良井川を渡ります




⑦に続きます