今井兼平も眺めたであろう景色




細川幽斎が句を残した肱懸松を過ぎ

脇の狭い坂道を降ります

え、肱懸松跡??

もともとの肱懸松はここだったのか…
どちらも奈良井川は見えないけど


坂を降りていくと

道標がありました

ここは中山道と善光寺街道の分去れ
分去れ(わかされ)とは分岐点のこと
この常夜灯は分岐点の目印でした
善光寺や伊勢、御嶽、京都、江戸…
どこへ目指すのか

善光寺街道

中仙道の追分から
善光寺に行くのが「善光寺街道」
真田一族で有名な上田を経由します

洗馬から善光寺方面へ向かうのは
「善光寺西街道」こと往還道

左は善光寺方面、
右の坂は肱松の坂で中仙道江戸方面

そして私達が進むのは中仙道京都方面


しばらく進むと
「あふたの清水」の案内書
コースアウトして寄ることにします

おお、これは見晴らしが良い

下り坂…
カミサンが顔をしかめます
行きたくないのは明らかです

分かったよ…
私ひとりで行きますよ

あふたの清水…邂逅の清水は
ここを降ったところにあります

邂逅の清水には木曽義仲の伝承があり
地域住民の用水にもなっています

この湧き水みたいのがそれかな?

漢文による説明…読めません

とりあえず帽子とともに清水をパチリ

木曽義仲と最期を共にした今井兼平

幼い頃から一緒に育った忠臣

義仲を支える四天王の一人とされ
有名な巴御前の兄になります

「平家物語 木曽の最期」では
主君の木曽義仲が義経ら東国軍に
討たれたのを確認すると
これが日本一の強者の自害の方法…と
刀先を口にくわえて馬から落ちる様を
東国武士に見せる壮絶な最期をとげ
伝説となっています





自ら「日本一の強者」言い切るのは
どんだけ自信があるんだよ…と
ツッコミたくなりますが
今井兼平は木曽義仲に付き従い
木曽→信濃→北陸→畿内の行軍で
大いに活躍しています



木曽義仲は
「平家にあらずんば人にあらず」と
奢りたかぶっていた平家を
追討するよう発せられた令旨に
応じて挙兵します

義仲は源氏の血筋のサラブレッドで
その点では源頼朝、義経らと同じ…
頼朝や義経の従兄弟でした

アタック25風に例えると
平家の赤色パネルが
中央から左を占めていましたが
木曽義仲の緑が
信州・北陸・畿内…と中央部分を
一気にひっくり返しました 
(後年、右下隅の白色の頼朝が
パーフェクトに塗り替えました)
(奥州藤原氏は最後の最後まで
右上に数枚残った金色パネル)


最期に笑うのは
赤の平家か
白の源氏か
緑の木曽義仲か
角を守る青の奥州藤原氏か

朝廷とは距離をおき
武力をちらつかせながら交渉する
…そのとおり!!

最後、右上のパネルもすべて白に!
お見事、源頼朝さんが全国制覇


義仲方の今井兼平は
「④般若野の戦い」で大活躍、
その武名は世に聞こえていました


源平の動乱で孤児となった義仲は
中原兼遠に匿われ育てられました

兼遠には
樋口兼光、今井兼平、巴ら実子がおり
木曽義仲とともに勇名を馳せました
彼ら兄弟(妹)は
ゲームキャラにもなっているようです
(なんというゲームか不明)




木曽義仲は木曽の住民・中原兼遠の
一族と行軍したことになります


義仲は連戦連勝し
京都から平家を追い出すと
朝廷から「朝日(旭)将軍」という
称号をいただいています

もっとも
義仲の破竹の勢いには理由があり
時流にのったことが大きいのと…

平家は当時の飢饉などの問題もあり
腰弱な状態にありました
(平家の忠臣メンバーが貴族化し
緊急事態に対応できる能力が
失われていたことは否めない)


義仲が挙兵し
木曽を出発し信州・北陸を目指すとき
この洗馬の土地で今井兼平と合流します

「あふた(邂逅)」とは
ここで会ったという意味のようです

今井兼平が迎えたとき
義仲の馬はひどく疲労しており
足取りが重くなっていました

兼平がその馬をこの清水に連れ
脚を洗ったところ
馬が精気を取り戻したという
逸話が残っています

その伝説から地名は
「洗馬(せば)」となり
洗馬に開智学校ができたとき
今井兼平 馬洗いの像が飾られました


屋根の上の目立つところに
今井兼平洗馬像が飾られたそうです



(´・ω・) …

再び馬上の人となった
木曽義仲は今井兼平らとともに
依田に向かいました

依田城は上田にあり
上田には北国街道で向かったはず…
先ほどの常夜灯のあったところを
通過したと思われます

たぶん左の方へ進軍…


洗馬には本陣跡だけでなく…


荷物貫目改所の跡もあります
中山道と北国街道の交差点なので
伝馬のために荷の重さをチェックする
必要があったのでしょう

伝馬制度とは現代の配達制度を
宿場ごとにリレー方式でやるような
サービスでした


他にも天皇陛下の立ち寄りなどの
石碑が残っていました





木曽義仲は
貴族の世から武士の世へ
時代の扉を蹴破る役目を果たしました



時代の分去れとなった土地が
洗馬であり
その進行方向を決めたのが
木曽義仲だったのかもしれません


私は自販機で購入した水を
飲みながらそんなことを考えました



④に続きます