左富士…ではなく左浅間





18号道路を軽井沢から西に進んでいると
右手に見えるのが日本百名山のひとつ浅間山

軽井沢中学校のネット越しの浅間山


18号道路から90度反時計回りし
軽井沢中学校前踏切を渡り
さらに90度時計回りし
私たちは旧中山道を進んでいきます

ここは中軽井沢

そういう写真を選んでいるわけですが
ちょこちょこと浅間山が視界に入ってきます

この写真、けっこう好き

湯川をまたぐ前沢橋から浅間山をパチリ
ここは右方向に浅間山があります

これも前沢橋から

しなの鉄道の線路越しの浅間山


実をいうと私は
3回前…てくてく09②のとき
久芳橋から浅間山を見た瞬間から
美麗なこの山に恋しています


(てくてく09② / 久芳橋からの浅間山)


街道歩きブログでいつも感じているのは
旅先の景色や光景の美しさ…
私の撮影ではその感動の半分も
伝わることはない

歩き、苦労しその場にいない、行かないと
目で見ないと心が動かない情景が
この世にはあって…
浅間山の美しさは当にそうなのかもしれない


もしバス旅の太川さんのコメントが
苦難の末の実感だとするなら… 

このときの私は「あの碓氷峠」を越え
疲労困憊モードで浅間山を仰いでいるため
周囲の反対を押しきって恋人に会う
ロミオやジュリエットのような心理にあり
実物以上に素晴らしく感じたのかもしれない
(ロミオたちも周りが反対しなければ燃え上がらなかったのかもしれない)


江戸から西に向かうとき
国道18号と同じ区間もある中山道からみて
浅間山は北側に位置します
進行方向からは右手になります


しかしここ数百メートル区間だけは
右手にあるはずの浅間山が
中山道の正面or左手になります

東海道のスター富士山も
江戸から京都に向かうとき右側になりますが
一時的に左側にくる名勝「左富士」があります

ここ、前沢橋~しなの鉄道付近の
短い区間だけは「左浅間」となります
(左浅間とは私の勝手なネーミングです)


再び18号道路へ

中山道沓掛宿碑
軽井沢の次、日本橋から19番目の宿場町

碓氷峠側を向くと
テーブルマウンテンこと離山があります


離山を背に向け先に進みます
この道…18号は上田や小諸へ続きます

そーいえば「真田丸」で
真田昌幸(草刈正雄)が例え話で
浅間山が噴火…と言うくらいに身近です


昌幸のころの真田の拠点は戸石城で
戸石城はいまの行政区分だと上田市内で
戸石城址と上田城は近い


昌幸の長男・信之は
家康に歯向かった父 昌「幸」から
継いだ文字を信幸→信之と改めるほど
徳川政権に配慮しながらも
信州松代に領土を得ています

真田幸村(信繁)の初陣は小田原征伐とされ
私たちが歩いているこの道を逆に進んで
碓氷峠の向こうの松井田城・大道寺政繁を
包囲する一手となりました

私たちが歩いている
軽井沢の高級別荘地周辺は
真田一族にとっても
馴染みぶかい地域でもありました

そんなこんなで
中軽井沢駅前の交差点へ
信号の向こうにチラリとオシャレな駅舎が…

中軽井沢駅はもとはJR信越本線でしたが
いまは「しなの鉄道」の駅になっています
この駅舎には図書館やワインセラーも
併設されているそうです…


軽井沢や中軽井沢(沓掛)が
このようなカタチで発展するなど
知将と呼ばれた真田父子たちでも
予想できなかったことでしょう



③に続きます