群馬県側から振り返る




2018年5月1日(GW3日目)の
中仙道歩き旅の記録です


朝目覚めてNHKの天気予報をチェック
今日、主に歩くことになるはずの高崎市は…


30℃!?


8時半過ぎに神保原駅に到着
この駅には七福神の石像があります

神さまの里の玄関口…
七福神の住んでいる駅…

なぜか御神籤があったので
本日の旅の安全祈願もかねて引いてみると…
大吉♪


【旅行】道連れあれば更に吉
【方向】西北方特によし


( ・∀・) … 二人旅で西北方向に歩くじゃん!


神保原駅の駅前

あれが昨日バス停をみた
「上里町 こむぎっち号」か

マイ・ウェザーヴェイン…
あんまり気温が暑くならないと良いなぁ…


それでは昨日の続きを歩きます

セブンイレブン上里神保原店で
おにぎり1つを食べ、旅支度を整えます
30℃対策で凍結アクエリアスを購入


まだ9時なのに暑い
こむぎっちのマンホール…
たぶん目玉焼きが焼けます…

中山道はこむぎっち号のルートと
重なるようです

金久保八幡神社で写真を撮っていたら
カスタマイズされたスーパーカブに乗った
年配男性がやってきました



まことにエネルギッシュな方で
私たち夫婦を撮影してくれると
申し出てくださる

めちゃくちゃオーラがある

なんというか
明るくて正しいオーラ
カリスマというのはこういう人なのかも
少なくとも私の身の回りにはいない
カッコいい人生の先輩…




お申し出をありがたく受け
記念写真をしていただき
お返しに男性のカメラで
バイクと一緒の写真を撮らせていただく




そのときの男性のポーズがまたカッコいい

なんでも数日かけて
東北の方をツーリングしてきて
これから鎌倉のご自宅まで戻られるという





(;・∀・) … すげー、鎌倉か


カミサンとふたりで

きっと元会社経営者かなにかで
跡継ぎに事業は任せて悠々自適の
アウトドアライフをしているのだろう
名刺交換でもすればよかったかもしれない…

人脈づくりもかねて
ブログ紹介の名刺を持ち歩けば?

などとカミサンに提案される




たしかに
ひょんなところから
人生は変わることもある

旅人、趣味人としての名刺を
持ち歩くのもよいかもしれない


畑時能首塚を過ぎます
時能は新田義貞に仕え、後年、新田四天王に
数えられた武人です


「勝軍」という場所に来ました

一里塚があります



神流川橋の少し手前です

神流川は古戦場であり渡し場がありました

1582年、本能寺の変から2週間後に
ここで織田家家臣滝川一益と
関東のほとんどを領していた
北条家が戦いました


滝川一益(たきがわかずます)は
「進むも退くも滝川」と称された名将でした
豊臣秀吉や明智光秀のような
いわゆる中途採用組ながら
織田信長にその才覚を見出だされて
大いに引き立てられました


一益は信長の後継者だった織田信忠を助け
織田家の宿敵だった武田家を滅ぼしています

その功績によって一益は
いまの群馬・長野の一部に領地をもらい
関東管領となりました

しかし、新領地に入って2ヶ月もせずに
本能寺の変が起きてしまい
一益は信長という大きな支援者、後ろ盾を
失います

戦国の潮目が変わりました

一益の下には古くからの織田家臣だけでなく
武田家平定後に従うことになった
土豪や武田家旧臣らが多くいました
彼らは織田家にも滝川家にも愛着はなく
信長が急死したことで態度が変わりはじめます

神流川合戦は
本能寺の変の2週後に起きており
信長存命中は織田家に従っていた北条家が
信長ロスに揺らぐ滝川勢に攻めかかった
かっこうでした

一益は1万6千の軍勢を率い
北条軍の先鋒を相手に神社のあった
金窪(金久保)で一戦し見事に勝利したものの
その後、各地から北条家の本隊5万が
集まってくると
さすがに持ちこたえられず敗退しています

これによって
柴田勝家、羽柴秀吉、明智光秀らとともに
織田家で屈指の名将と数えられた一益の
威光は弱まりました
この敗戦後の一益はスポットライトの当たる
歴史の表舞台からフェードアウトします


私たちが歩いているのは
神流川からみて北条側のエリアで
ひょっとしたら「勝軍」という地名は
神流川の合戦に因んだものかもしれません
(あくまで憶測です)


さぁ、神流川橋のたもとに着ました
常夜灯があります



江戸時代に夜の旅人の目印として
置かれた常夜灯です


ちょうど神流川橋の架変え工事が
行われていました

川下側に新橋脚が造られているところ

川の流れをコントロールして土台を造るのか

けっこう水量があるのに大変だ



(´・ω・) … 

こういうのをみると
荒川、利根川の治水事業を進めた
伊奈忠次のすごさが分かります


前回の道中に立ち寄った金鑚神社
カナサナ神社とはなんなのか…
それが気になり調べてみました


上のカナサナ神社は
私たちが寄ったものではなく
カナサナ神社の総社にあたり
神体山として御嶽山を祀っているのだとか


wikiカによるとカナサナの語源は
「金砂(カナスナ)」…「砂鉄」と
考えられているそうです

いま渡ってきた神流川からも
砂鉄がとれるそうです

朝から歩いてきた
「金下」「金久保(金窪)」という地名も
砂鉄がとれたという御嶽山に因んでいる??






神流川もふくめて砂鉄をとり
製鉄するたたら場が
古代このあたりにあったのだろうか

私は昨日今日歩いている中仙道の
穀物倉庫や古墳山、カナサナ神社、神流川…

これらは古代の製鉄と
それによる農具や武具の製造、
村や部族が豊かになり
道が開けていったのかもしれない…などと
ぼんやりと想像を楽しみました

鉄こそが富を産み出す「神」のような
特別な存在だったのかもしれません


神保原駅の七人の神様とは「砂鉄」様?



橋上で群馬県に入ります
街道歩きでは群馬県ははじめて
かれこれ16都府県目となります
47都道府県だから1/3は歩いたことになります


群馬県側の橋のたもとには
神流川合戦の石碑や説明も残っています






( ・∀・)ノ … 群馬編は②からスタートです