中山道てくてく歩き 04② 【~鴻巣宿人形町~勝願寺】 | This Is Lybird-Blog
4月の鯉のぼり

北本駅前の交差点を通過し
勝林寺の前を横切ります

ガイド「ちゃんと歩ける中山道六十九次」には
この寺は関東郡代伊那忠次の三男の
日譽上人の創建だと書かれています
(´・ω・) … 伊奈忠次の間違いだな
伊奈忠次(いなただつぐ)

調べるほどに興味深い人物
私が歴史小説家ならこういう人物を題材に
短編を書きたくなるでしょう

伊奈忠次は徳川家康に仕えました
武功ではなく行政民政で手腕を発揮しました
若いころはお家騒動などもあり
徳川家を2度離れるはめになります
浪人時代に学んだ土木や農政のノウハウで
徳川家帰参後はその領内開発や整備において
多大な貢献をしています
徳川家が関東に入ってからは
利根川、荒川の治水事業に力を注ぎました
これは超ビッグプロジェクトで
一番槍だとか城攻めをしたとか
その手のレベルを越えた貢献と考えられます
伊奈忠次はその功績を認められ
小室、鴻巣に一万石を与えられました
例の飛行船の整備をしていたのが
荒川の河川敷になります
荒川は流れ流れて
金八先生のオープニングの土手になります
あの土手は東京です
家康が浜松から江戸に移ってきた当時
荒川と利根川は途中でいっしょになり
江戸へと流れ込んでいました
そのため氾濫がおきると
いまの東京エリアは水浸しとなり
都市機能を失ってしまう状態にありました
そこで伊奈忠次は利根川は千葉方面に流し
荒川と分離させる治水を行いました
この事業によって
江戸は水害に強い都市になり
世界でも屈指の人口を擁する
街づくりが可能となりました
伊奈忠次は治水にとどまらず
街道整備なども手掛けています
私が歩いている五街道を整備するにあたり
その宿駅をおく筆頭奉行を勤めています
江戸幕府の国土交通省トップ

そんなことどもを考えながら
私は忠次の領地であった鴻巣を目指して
歩いています


お、鴻巣市に入るぞ

このマーク
右上「コ」、右下「ウ」、左上「ノ」、左下「ス」

鴻巣市内に入りました

人形町

江戸時代に村民が農閑期に
雛人形をつくるようになり
後に幟、兜、羽子板なども製造する
「雛人形の町」…「人形町」と名付けられた

「雛人形町」のペナント

「ひな人形町」のお店がポツポツ

広田屋さん
時期的に鯉のぼりや五月人形が展示

もちろん雛人形も

ひな人形の歴史が学べます

頭部のつくられる工程…
ちょっと怖い…

ところ狭しと飾られている雛人形
大地震がきたら大変そう…

変わったところでは桃太郎雛
鬼に接待される桃太郎御一行さま

(;・ω・) …
なぜだろう、モリカケ問題が頭を過る
館内にあった物産ゾーン
上尾~鴻巣は麦栽培に適しており
中山道麦、中山道物として知られていました
いまはそれを原料にした麺類が名物だとか

川幅うどん

ご当地グルメ…埼玉B級グルメ王で優勝

荒川は川幅日本一

この赤い矢印のところが
土手と土手のあいだで
国土交通省的にはこの土手の距離=川幅
それが2537mで日本一なのだそうです

つーわけで
現地にはこんな標識も立てられているとか

(;¬_¬) … 無理矢理過ぎねーか?
ひなの里で鯉のぼりを見上げます

鴻巣の歴史がぎっちり

(;¬_¬) … 写真だけとってずらかろう
私たちは中山道鴻巣宿を歩いています

道中の名刹「勝願寺」
私は見たいけどカミサンは興味ないので
コンビニ休憩してもらいダッシュで観光

戦国の有名人のお墓がいくつかあります

左端が仙石秀久…
漫画「センゴク一統記」の主人公です

真ん中
真田幸村のお兄さん(信之)の三男夫妻の墓

右端が真田小松姫の墓…


大河ドラマ「真田丸」だと
吉田羊さんが演じていたのが小松姫
そして勝願寺には伊奈忠次父子の墓があります

「関八州は忠次によって富む」と称えられた

そりゃあ、これを治水して
水運やら農作物の栽培までやるんだから
もはや「神」だよな、民衆からしたら

勝願寺

「葵の御紋」
徳川家康は鷹狩で鴻巣をしばしば訪れており
ここの住職と懇意となりこの紋を使うのを
許したそうです

ダッシュでお寺をまわってから
カミサンと合流し長木屋さんで
地元B級グルメ「川幅うどん」を頂きました

川幅御三家うどん

日本一の荒川のように幅広…川幅うどん

… 食べにくい

③に続きます

