don't look back in anger




白坂峠の頂まで歩いてきました

ここを越えれば福島県

でも県境を越える前に…手前の神社

境の明神…
昔は玉津島神社と呼ばれていた…
旧東山道「追分の明神」と道中安全の神として
古い歴史を偲ばせる史跡…


東山道(とうさんどう)とは五畿七道のひとつ
大化の改新当時の広域行政区分のひとつ
西は近江国、東は陸奥国まで


(´・ω・) … ものすごい分類だよね

大和朝廷からしたら
滋賀、岐阜、長野、北関東、東北全域は
十把一絡げだったのだろう


神社の説明書



かつて、この付近に白河の関がありました
白河の関は、奥州三関のひとつ




この三つの関所は
陸奥の国と出羽の国にあります

大和朝廷からすると
いまの東北は辺境の地も同然で
その蛮族の反乱は悩みの種となりました

関東・北陸方面へのバリケードとして
関所を築きました

中央為政者の感覚では
大陸の万里の長城と同じように
関所を設けたのかもしれません


陸奥国(むつのくに)は実に広く
東北地方の東部がそこに含まれてしまいます

東北地方西部は出羽国です

細々と検討するほどではない
価値の低いエリアだと都の人間は
見なしていたのかもしれません




江戸時代になると東山道よりも
幕府が整備を進めた
日光街道・奥州街道が主要道となり
白河の関は廃れてしまったようです


ローカル路線バスの旅シリーズで
太川さん、蛭子さんが2度通過している
白河関跡は旧跡の公園

芭蕉さんたちが訪れた100年後の
白河藩主がどこにあったのか
もはや判然としなかった関所跡を
調べさせてここだと判定したところです
(近年の調査でも妥当だという結果らしい)


松尾芭蕉&曽良のコンビも
この地を訪れているものの
ここが正しいのかどうか
もうひとつ自信が持てなかったのか
芭蕉さんは歌を残していません


境の明神境内の大日如来像が見事でした



(´・ω・) …

まぼろしのような
ふわふわと掴み所のない
伝承の道を私たちは歩いています


気温表示 5.1℃ の県境を通過します


太川さんたちが歩いたのは東山道76号ですが
私たちは294号で通過します


私たちも最後の県となる福島県です


通過してすぐにあるのがコチラ

境の明神


(;・ω・) … 同じ名前?

上の看板を見ると
同じく玉津島神社と呼ばれたとあり
県境の向こう側は住吉明神と呼んだそうです


(;・∀・) … あれ、どっちも玉津嶋神社?

看板の説明を最後まで読むと
お互いに境の手前を玉津島明神と呼び
越境側を住吉明神と呼んだとあります


(;・∀・) … 紛らわしい


奉納算額?

和算額…
問題が解けた喜びを神様に報告するために…

映画「天地明察」のアレか?


(;¬_¬) … 私ならやろうとも思わない


福島県側の境の明神はこんな感じ

竜…

いかにも歴史ある社という感じでした


(´・ω・) … どちらの明神も素晴らしいね


福島側の境の明神の道路向かいには
白河二所之関址がありました

各自読解を試み、理解できましたら
その喜びを奉納がわりにコメントして下さい
(私は写真を撮っただけで先に進みました)


たぶん、これが理解の助けになると思います




⑤に続きます