We'll Never Speak Again / Morten Harket
http://www.youtube.com/watch?v=9NFcXw_mMKM
うろ覚えですが…
a-ha 初期の
メンバーの取り分(所得)は
ポールが半分強
その残りを
マグスとモートンが分けるけど
マグスのほうが
やや多いというものだったらしい
勝手な想像だけど
こんな感じだろうか
55% ポール
25% マグス
20% モートン
追記
85年の収入
(同年6月1stアルバム発売、10月テイク・オン・ミー米№1)
ポール 600万クローネ(現ルートで約9000万円)
マグス 300万クローネ強(同上4500万円強)
モートン 300万クローネ弱(同上4500万円弱)
この所得格差は
作詞作曲をしている人間の
取り分が多いというのが理由
Take On Me こそ
3人の共作となっているものの
(逆を言えば最大のヒット曲は3人の共作)
その後シングルをみると
(1st)
The Sun Always … →ポール
Train Of … → ポール
Hunting … → ポール
(2nd)
I've Been … → ポール
Cry Wolf … → ポール&マグス
Manhattan → ポール&マグス
(3rd)
The Living … →ポール&ジョン・バリー
Stay On … →3人共作
The Blood … → ポール
Touchy → 3人共作
You Are … → ポール&マグス
つまり
すべてポールが作者/共作
しかも
ポール&マグスであっても
歌詞はほとんどポールのため
折半ではなく
収入としては
ポール>マグス
だったろう
要するに
収入だけをみたら
ポール独り勝ち状態
しかし…
人気は
モートンがダントツだったように思う
3人とも
それには違和感があったろうが
初期の a-ha は
アーティスト/ミュージシャンというよりは
アイドル的な扱いをされていた
そのアイドル的な要素は
リード・ヴォーカルの
モートン・ハルケットが担っていたと
言っても
間違いないだろう
実際、
当時の音楽雑誌での
人気投票での
モートンの人気は絶大で
それは日本だけでなく
欧州でも同じだったらしい
(wiki かなにかの情報)
当然
インタビュー、ビデオ、写真撮影などは
モートンが中心…
マグスも
ルックスはモートンに及ばないながら
その陽気さや社交性で
コンサートを盛り上げたり
インタビューで機転を効かせた
やりとりをしていた
つまりは
そういう人気とか
興行での努力・貢献がありながら
モートンからすれば
ポールのやつは
俺の倍以上の収入があるのかよ?!
という
不満が生まれたとしても
仕方ないように思える
マグスにしても
アイドル的な売れ方をしている以上
インタビューや
観衆が喜ぶ営業(?)努力は
サービスとして必要なのに
ポールのやつは
ちっとも協力しない…
そういう不満が
なんとなーくあったろうと想像できる
もっとも
ポールとすれば
音楽に関するインタビューならともかく
ティーン・アイドル向けの
好きな色などの質問に答えるのが
面倒くさかったのかもしれない
(上)モートン・ハルケット、(左)ポール・ワークター、(右)マグス
マグスとポールは
幼馴染であり
モートンだって
売れるまでの一時期は
同じ屋根の下で暮らした間柄
はじめから
ギスギスはしていなかったろうが
成功して
ある程度の収入を得たからこそ
そして
売れっ子として忙しくしているからこそ
生まれてくる
不満やフラストレーションもあると思うのだ
売れっ子当時
来日したときには
朝10時から夜10時まで
30分刻みで
休みなしでスケジュールが組まれていて
それも
カメラの前でポーズするような
音楽活動とは
まったく無縁なものばかりで
その要求の多くは
モートンに集中していたとか…
おそらく
そういう時期に
彼らをインタビューをした
小林克也さんは
そういうストレスなどで
ギスギスしていた
メンバー間の空気を感じ
その後の
空中分解も
ある意味、
納得いくものだったと
回顧している
ポールにすれば
自分が曲をつくるからこそ
バンドが続けられている…
という感覚もあったろう
a-ha は
自分があってこそだ
自分の追及する音楽を
実現する場だと
モートンらも
よくやってくれているけど
自分のお陰で
人気者になれたのだし
成功のお相伴にあずかれているのだから
協力してあたりまえだ…
たぶんだけど
ポールは出来てしまうがゆえに
他人のそういう感情に鈍かったり
そういう感情へのフォローが
きちんとできていなかったんだと思う
ちなみに
デビュー前に
ロンドン行きの資金を貯えるのに
マグス、モートンが働いているとき
ポールは音楽と本に没頭し
まったく働かなかったらしい
もともと
ポールは
そういう点で
鈍感というか
KY、
空気を読めない、
(あえて読まない?)
アスペルガー症候群??
また
ポールは
007 リビング・デイライツ の主題歌をめぐり
クレジットにジョン・バリーが
名前を連ねることに対して
激しく抵抗したといわれており
自分の作品への自負も強いのだろう
言い方は悪いのかもしれないけど
ある意味、
音楽馬鹿なのかもしれない
実際、
ポールは
自分の求めるサウンドを
つきつめるためなら
スタジオにこもって
何十回何百回でも
繰り返すことができた
それは
モートンからすれば
狂わないのが不思議なことだった
その狂気の
音楽マニア/サウンドクリエイターは
自分の作品のこととなると
他人の意見を容れることは
あまりなかった
その頑なで
融通の効かず
自己主張の強い姿勢が
業界の大先輩からの怒りを買い
業界での居場所を
なんとなく狭めたように思われる
和田アキコや
秋元康に喧嘩を売るような
若手タレントは
仮にちょっと光るものがあっても
制作側に敬遠されてしまうだろう
たぶん
そんな感じだと思う
a-ha はその後
だんだんと下降線をたどっていく
それまでの売れ線だった
シンセポップは下火となり
ガンズン・ローゼズや
ニルバーナ、ストーン・ローゼズといった
インディーズやロックテイストのものが
業界の主流になっていく
a-ha も
4th、5thアルバムで
エレクトリック、シンセだけでなく
もっと柔軟に有機的なものをとりいれている
ポールによれば
90年代に起こった
時代の求める音楽の変化に気づき
無機質な音を取り除き
有機的で
シンプルなサウンド、
シングルからアルバムへと
シフトしようとしていた
そういった
時代の流れに
乗ろうとするものの
アイドル的な部分を追っていた
ファンの多くはついてゆけず
(ただしくは、別の流行に流れたのだろう)
それまで同様の無機質な
シンセを期待したファンは
ポールの試みに落胆した
a-ha の
1stアルバムの発売年は85年
5thアルバムは93年
8年が経過している
つまり
1st発売時に15歳だったファンは
5thのときには23歳になっていることになる
その8年のあいだ
ずーーーっと同じものを
追いかけるのは
むしろ奇特なファンといえるだろう
そのあいだに
恋をしたり
趣味に没頭したり
進学、就職、結婚、出産、育児などなど
人生のいろんなイベントもあるだろう
実際
当のモートンだって
89年にスウェーデンの女優さんと結婚しており
その後の
a-ha の人気低迷に一役買っている(?)
そういうものも
ライフスタイルに影響を及ぼし
聴く音楽の好みも変わっていくのが
むしろ自然だ
たとえば
AKB48の代表曲となるであろう
「フライングゲット」の発売が2011年
2019年
AKB48が活動しているかどうかは
神と秋元康のみが知るところだろうが
いまほどの人気はないだろう…
だいたい
2011年のときのAKBの顔であったろう
前田敦子や大島優子らが
3年もせずにグループから卒業している
それを考えれば
じゃんけん大会も選挙もメンバー交換もしない
a-ha が
人気をキープできなかったとしても無理はないし
そもそも論で
彼らはアイドル扱いされることに違和感があった…
しかし
人気の低迷により
a-ha メンバーにも変化が出てくる
不規則な生活
ギネス記録の集客コンサートをしても
メディアには無視され
離れていく取り巻き
減っていくインタビューや仕事
ステレオタイプなメディアの扱い
下降していく売上…
ポールは
5thを一枚のアルバムとして
よくできていると
自負しているものの
一説に
アメリカでは3万枚も
売れなかったらしい…
自尊心を傷つけられ
心身ともに疲弊し
成功から衰退へ…
ジェトコースターのような
環境の変化…
マグスは
公表されていないけれど
4thアルバムくらいから
精神的に滅入って
メンタル疾患になっていたらしい
マグスだけでなく
モートンも
プレッシャーで病気になったことがあると
インタビューで答えている
a-ha をみていると
彼ら3人は
ビートルズにみられるような
わかりやすい
友情、仲間割れみたいな関係ではなく
はるかにプロフェッショナルというか
大人な関係にあるらしい
プロとして病身をおして
活動をつづけていたらしい
(それが本当のプロなのか…という指摘もあろうが)
a-ha のメディア露出が
ある時期から減っていった理由として
ムードメーカーのマグスが
そういう理由で
人前で活躍できなくなっていたというのも
あるのかもしれない
それでも
コンサートなどで
明るくふるまうマグスをみると
すごくせつなくなってしまう…
根は陽気だから
やれている部分もあるのだろうけど
無理しているのかな…と
なんかね
パンチドランカーと
分かっていながら
ボクシングを続けていく
矢吹丈のような…
そのころから
ポールとマグスの共作が減りはじめる
有機的でロックな
a-ha を推し進めるポールに
滅入っていたマグスは
ついていけなくなったのではないか
また
サウンド面の変化が顕著なので
忘れがちなのだけど
4thから
歌詞もぐっと大人び
(背伸びしているのではなく)
それまでのポップなものとは
内容が重くなってきている
こういう内容も
ツアーなどで
毎回演奏していると
精神面に
ある種の影を
落としていったのではないか?
ともあれ
4th、5thに収録された
マグスの作品には
とまどいや自責の念が散見される
4th収録 「The Way We Talk」
http://www.youtube.com/watch?v=2nVFv1niyNU
♪
もしできるなら、変わるよ、誓うよ
もしできるなら、そうする、誓うよ
5th収録 「Lamb To The Slaughter」
http://www.youtube.com/watch?v=i8v_8Pb_UyI
http://ameblo.jp/boomooo/entry-11390384141.html♪
ぼくらは落ちていく
ぼくらは落ちていく
ぼくらは落ちていく
それが唯一続く途だから
92年、
a-ha 5thアルバム発売の前年に
マグスは
高校時代からの
恋人のハイディと結婚しています
(ポールは91年に結婚)
マグスとハイディのあいだには
90年に
長男が生まれており
手続き的に
結婚があとになったらしい
マグスとポールとの共同作業が
減っていったのは
お互いの拠点が離れただけでなく
新しい家族との時間が優先されたことも
原因だったのかもしれない
なんとなく
マグスの気持ちとは別に
その体調に配慮して
家族が
a-ha やポールと
距離を置くようにしていったのかもしれない
あるいは
一定の距離を置くことが
人間関係を維持するため
グループ存続のため
適切な対応だったのかもしれない
モートンによると
ポールは
その歌い方から何から
細かな要求をしてくるらしい
要求といえば
体はよいが
指示だとモートンが感じれば
うざったらしいだろう
ポールとしては
作り手としての
こだわりなんだろうけど…
ジョン・バリーの印象によると
ポールは主張は高圧的らしい
マグスが
精神的に弱っていたのなら
それはきつかろう…
そういう
ぎくしゃくした状態で
かつてほど売れなくなり
モートンが
ポールに内緒で
ソロ活動をはじめる
実質的な
ファースト・ソロ・アルバムの
「Wild Seed」は
95年に発売される
自分の人気や実力を
ソロで試したかったのかもしれないし
取り巻きが
そそのかしたのかもしれない
モートンの
アルバム発表を知ったとき
ポールは
a-ha の6thアルバムのために
デモ・テープを作っていたらしい
青天の霹靂だったろう
そして
茫然自失となった
ポールは
奥さんのローレンにはげまされ
97年に Savoy を結成して
1stアルバムを発表している
収録曲には
こんな歌詞がある
♪
名の知れたバンドをもっていた
シンガーは良かったけど
勘違いしていた
ぼくの歌をちゃんと扱えない
たしかに
よくやってくれたけど
背後からグッサリやられたのは事実だ
(Daylight's Wasting)
http://www.youtube.com/watch?v=OwA6w1Lw1jM
♪
ぼくら一緒にいるべきだ
きみは間違っている
きみのトモダチは
きみを良くはしない
(Underground)
マグスは
音楽をやりながらも
バリバリやるつもりにはなれなかったのか
どちらかというと
絵画などのアート活動に
主軸を置いていたように思う
今回のお題
ウィール・ネバー・スピーク・アゲインは
歌詞はマグス
作曲はマグスと Bjerkestrand
(Kjetil) Bjerkestrand は
この時期に
マグスらと
Timbersound なるユニットで活動
このブログをまとめるにあたって
はじめて聴いたけど
個人的に好きですね、これ
A Room For Thought / Timbersound(?)
http://www.youtube.com/watch?v=FgmzvTexOrQ
http://www.youtube.com/watch?v=reXSAH2PdfY
Piano Poems (Una Corda) / Kjetil Bjerkestrand
http://www.youtube.com/watch?v=E-loIQ1SkwU
ん?!
We'll Never Speak Again / Kjetil Bjerkestrand And Magne Furuholmen
http://www.youtube.com/watch?v=aG1S4o94cig
へー
ウィール・ネヴァー・スピーク・アゲインは
97年…
マグネ隠遁期に発表された作品だったのね…
(シングルカットもされています)
モートン、ポール、マグス
それぞれ活動していたものの
いずれも
大成功したという印象はない
日本でのCDリリースは
モートン、サヴォイの1stアルバムこそ
国内盤が出されたものの
その後は
輸入盤を買わなくてはならなかった
つまり
ソロ活動の
a-ha メンバーは
国内盤を出しても
採算が合わないと
判断されたわけだ
サボイにいたっては
3rdアルバムは当初
ノルウェー国内でしか
販売されていなかった
つまり
日本だけでなく
彼らの本拠地・欧州でも
そういう判断がくだされたのだろう
彼らは
リユニオンまでの
7年間の活動を
充実していた、やりがいがあった…と
振り返っている
しかし
同時に
a-ha という看板があってこその
自分たちだという現実についても
痛感していたのではないだろうか…
③へ続く!