おたがいさま | 日々の想い

日々の想い

日々想ったことを書いています。

昔からある言葉に「おたがいさま」というものがある

 

今コロナの休校措置で思うことは

 

9年前の今日3.11とは、状況が違うということである

局地的なものではなく全体的な問題

 

 

だからこそできることがあるとすれば

 

 

「おたがいさま」

「これが収まるまではおたがいが我慢しよう」

 

 

ということだと思う

 

 

かわいそうだから行ってあげるとか

生活があるだろうから買ってあげるとか

 

 

そういうやり方は、女性がやりがちだけれど

果たしてどうであろうか

余計に広げてしまうことにはならないだろうか

 

先日家族と話した時に

わたしは意見が違っていることに気づいたのだった

 

そんなことできるわけないよって

笑われたけれど

 

一笑にふされても

ここに書いておこうと思う

 

 

*****

 

 

 

冷たいようだけれど

こういう時だからこそ

 

お互いが「収まるまではいらないよ」って

 

待ってあげればいいことなんじゃないかと思うのだ

 

いらないよっていうのは

「お金」のことだ

 

 

一番は

国民にお金を貸している

「日銀」「銀行」「貸金業」の皆さま

 

二番は

不動産を貸している

「不動産業」の皆さま

 

三番は「交通」や「電気」「水道」「電話」と言った

インフラ関係の皆さま

 

一ヶ月戻ってこないからと言って

果たしてどこまでの損害が

国にあるのだろうか

 

 

電気は貯めておけないから使わなくてはもったいない

多分水も淀ませておくわけにはいかないし

動かしてもお金が関係なかったら

 

何事もスムーズにいくのではないだろうか

 

供給している人にしか

それはできないのだから

 

まずそこががいわないと

意味がない

 

 

そんなことはありえないと

思うかもしれないけれど

 

 

銀行に果たして資産分の

「紙幣」や「硬貨」があるのかな

 

 

考えてみれば

わかることのような気がする

 

 

ただの主婦の戯言だと思って聞いてもらいたいのだけれど

 

 

今はそんなことより

「おたがいさま」の気持ちを持ちたいので

 

 

とにかく書いてみることにしました

 

読んでいただいて

ありがとうございました