R.I.P.<MICK KARN> | 52歳で✖2になったロック親父

52歳で✖2になったロック親父

人生は酒とパグとロックですが、何か?。。。映画のレビューは適当です。


ドクロ2011.1.4 4:30 52歳没




<長文です>



当時わたしは中学2年、勿論ヤンキーで聞いてた音楽は歌謡曲、特に榊原郁恵ちゃんの大ファンだった。



思えば昔からカイデーパイオツ好きだったのか・・・



たまたまクラスの隅に休み時間になるとアコギ持って溜まってるロン毛な奴ら・・・



チャラチャラ演ってるのは洋楽・・・知らんし・・・



ちょっとヤンキーに飽きてきていたわたしはロン毛な奴らに聞いてみた(一応ロン毛な奴らも仲良しな友達ですのでお間違えのないように)




福 「お前ら、何の曲演ってんねん?」


ロ 「えっ?言ってもわからんやろ(薄笑)」


福 「(ムカっとしたが)ええやん、教えてくれや!」


ロ 「ディープ・パープルや!」


福 「はぁ???」


ロ 「(ニャッとしながら)ツェッペリン知らんのか?」


福 「???」


ロ 「じゃあ、CHARは?」


福 「な、なまえだけは・・・(汗)」


ロ 「・・・」


福 「なんか俺にも聞けそうな流行ってるバンド教えて~や」


ロ 「JAPANって新人バンドが人気あるみたいやで」




訳わからんままアルバム2枚を小遣い前借りして大人買い


後から思うと今でもCDの値段は\2500と、そのころのLPの値段と変わっていないので、バイトのできない中坊にはなかなか買うことができなかった訳で自分たちも聞いたことないけど流行ってたJAPANのLPをヤンキーのわたしに買わせて聞きたかったのだと・・・


案の定、「貸して!貸して!」で戻ってきたのが半年後、ジャケットはボロボロだった(涙)




そんなJAPANだったのだがこのバンドにはまって洋楽を聞き始めた訳ではないのだがきっかけになったのには間違いない。


あの頃のミュージックライフ、音楽専科、ロクf・・・なんかもグラビアはJAPAN一色だったような気がする。



3枚目でGのロブ・ディーンが抜けてから聞かなくなってしまったが、こんな形で聞くことになるとは・・・合掌

 





Boomerang江坂の店長


ドクロアップはスティーブ・ジャンセンダウンはリチャード・バービエリのサインです(一風堂のツアーメンバーの時)



Boomerang江坂の店長






Boomerang江坂の店長


ドクロQUIET LIFEはあの杉原輝夫(プロゴルファー)の息子敏一(同級生)から借りパクしたLPです








 3枚とも名盤です