東京の片田舎は、原生林を遺したような、見事な森があり
そこから、低山が顔を出している。

夕方、月の消える刻に、三度電車を、乗り継ぎ、最終電車で夜の山に向かう。
駅から登山口までは、歩くには遠すぎる距離があるため、自転車を袋に詰めて輪行した。

都心から伸びる線から離れる度に、電車を待ち合わす間隔が長くなり、それを待つ人も少なくなる。

三番目の停車駅から、登山口の駅に至るまでは、線路が一帯の低山の山脈の周りを、ぐるりと小さく一周していて

山頂や、尾根に向かう登山道はいくつもあり、

集落とも呼べない、誰も住まない小屋が疎らに残されていた。

山の周りを周回する、ローカル路線。
西側から山をまわる線を天陽線、
反対に、東からまわる線を天冥線と言い、同じ線路を走るのに、内回りと外回りで、呼び名が異なる。

私は、プラットホームには、もはや誰もいない夜の天陽線に乗車した。

真夜中に差し掛かるのに、虫たちは、昼に劣らぬくらいにさんざめいている。

なん駅か、無人駅と山あいのトンネルを越え、無人の木造りで出来た、掘っ建て小屋のような無人駅で下車する。

自転車を組み直し、最初は疎らな小屋や、かつて畑だった、茂みの間を抜け
急勾配の、ガードレールも無い林道を、重いペダルに体重を乗せて進んだ。

登山口の畔には、地蔵なのか、道祖神なのか、朽ちて苔の生えた石像が姿を並べている。

最近なのか、遠い昔なのか、最後に此処を通ったのは、誰が何時通ったのか、登山道の両側から、背高い雑草が伸び散らかされており、獣道さながら、蜘蛛やすすきを、手や脚で、掻き分けながら進む。

自転車は、登山道の入り口に止めて、ひたすらに山を掻き分けた。

尾根肌に出ると、ようやく鬱蒼とした、茂み還る雑木林を抜け、星空と、冷たい風が肌を打った。

まだ此処からでは、都心の夜景は見えず、目下には、登って来た夜の山の闇が広がるばかりだった。

山肌は、気候も生態系も、さっきまでの、山頂の見えない世界とはまるで、違い、内側から込み上げる浮いた衝動が躍り立つ。

幾ら登ったのかは、最早記憶にもなく、最期の急斜面を越え
山頂で碑を見付けた。

遠くを観る。あれは、街々の灯りだろうか。

暗い大地と対照に、明るく星星が、大きく煌めいていた。

つづく

痩せた山頂には、ひとつの碑が置かれている。
何が描かれたのかも、朽ちて理解の出来ない碑である。

碑から見下ろす今さっきまで登って来た世界は、黒いススキの穂が淡く白く照らされ、風に圧されながら揺らいでいる。

山頂と云うものは、八方から風がすさび、登りで熱が滾っていた背筋を凍らせる。

風が、躊躇いなく背中を打つ、汗が急激に冷え、体温が下がる。

山頂には、闇を抜き出でた時の後ろを振り返らないことで得られる安堵に

このまま時間が止まってくれないか、、、さもすれば、もう何かを判断することもなく、私は山頂で石になれる。

一瞬の膠着した止まった時間に、星明かりを隠すような黒い雲が忍び寄っていた。

生命の不安というものが、考えるより先に身体を突き動かす。

次第に、濁々と激しい雨粒が射ち落される。

ぬかるみに、滲んだ土に足を滑り込ませながら、天から両側から濡れた轟音の中で、思考を手放すことになった。

打撲や傷に憂う暇はない。

・・・・そして、生きるために、思考を捨て、反射だけを選んだ私は、意識を、或いは記憶を失って、轟音の身を切る闇を走り抜けていたらしい、

麓の自転車まで戻り、まだ誰もいない夜明け前の駅のホームで倒れこむ。

微かな日の出の予感があるほどの、薄暗い明け方に
人を誰も乗せていない電車が到着した、急いで輪行袋を詰め込む、ここから向かう先は、人のいる世界

人がいる世界に付けば、後は身を任せてでも生きていけるだろうと、少しの安堵に再び思考を手放す

記憶も、時間の流れも失う

どうやら、三つ目の終着駅に着いたようで、人はまだ誰もいない

世界は薄紫の朝日が支配を始めた。西日に体温を感じ、尚更
眠くなったので、二つ目の終着駅で、待ち合わせの時間にホームを降り、自転車を駐輪場に置いて帰ることにした。

このまま、大きな自転車を抱えては、家へたどる体力が、もうなかった。

それからの記憶は完全に無く、布団の中で目が覚めた。

昨夜はどこに行って来たのか、寝起きの思考は曖昧で、何時通り、外出準備をして外に出ると
玄関の脇にも、駐輪場にも自転車がない事に気づいた

記憶にあるのは、ひとつひとつを振り返ることも耐えかねるよ唸る闇の中の痛みで、どうしても思い出せない領域がある。

自転車を回収しに行かないと、生活がままならないし、撤去でもされていてはたいへんなので、早々に、まだ記憶に残っている、都心から西へ続く路線へ乗車した。

昼間。蝉の声がうるさく、それでも日常的な家族の風景なんかを見て
ここに立っている自分を見返し、安心した。

俺は、ここに居る。

一つ目の終着駅から乗り換える、二つ目の終着駅、限界集落の農村へとたどり着いた。

駐輪場を探す、うろ覚えの記憶の写真の照合をする。自転車を立てかけたのは確かこの辺。

そこにいらを探したが自転車は見つからず、3番目の終着駅の周辺を探すことにした。

しかし、見つからない。
どこに置いてしまったのだろうか、誰かが既に取ったのか

その行き止まりを受けて、布団の中で寝返りをし

あった。良かった。 まさか自転車はもう見つからないんじゃないかと思っていた。 昨夜のことさへ、私が本当に体験したことなのか、
あの山頂の気分を体感として追憶できない私に
山頂に登って自分が信じられなかった。

昨夜はここから、ローカル線に乗って3番目の終着駅へ行っていたはずだ。 

つづく


明くる朝に、昨夜の記憶を確かめる
山を登ったのは、確かなことなのか
私が体験したことであったのか

見つかった自転車は夜霧の冷たさで、チタンのフレームに雫を纏っていた。

自転車の車輪をロックしたキーを解除する
たとえば「4321」
コードは誰にも知られてはいない

鈎附けられた車輪を解放し、背丈よりも高い、サドルにまたがる

重心を前の車輪に落とす、右・・・  左・・・  全身を交互に預ける
朝もやの、草の匂いの中にいる、行っても行っても
進んでも進んでも、草の匂いの中を越えられないのかもしれないと思いながら、ペダルを廻す

あぜ道と呼ぶよりは、田んぼを貫く道のある

田畑の芳ばしい匂いに、トンボの姿たちを避けていく

延々続く路を進むと

国道に合流すると知っている標識が見えた
家までの経路を目算できる

鉄の鎖を輪わし、原動機付き自転車と呼ばれる機械をゆうに越えながら、自動車の通ったの引力で風に曳かせる

自動車の速度の影は、停車の度に乗り継ぐ

道路を走っている時は、描写そのものになる

自転車に乗った私は、計画だてられた生業の見積もりへ向かう

背中に遠ざかるあの山は、気づかぬ間に増々、見えなくなり

地形を隔てる大きな川を越える

車輪は、日常生活へ向かう

車輪の速度は、誰かの意思の間へと滑り込む

灼けついた仕事場は、スローモーションで版画を打つ

さっきまでの高速は、静止された冷房に通り過ぎ、汗だけがうつ

熔けるタールが練り込まれる、少しずつ感覚を削り溶かし、何かを醸造する

あの山の影は、昼間は確かめることが出来なかった

日が暮れるのを待ち、夜に遠く、辿ってきたはずの山を探す

烏の鳴くような夕暮れの奥にも

山は、見えない。少なくとも見渡した方面には、山の影は見付からなかった

家の中、灯りの中で布団に入り、幾日が過ぎても

此処からでは、山は見付からない

灯りの下では、三番目の終着駅すら、現実に見つけることが出来なかった

あの山は、山を求め、実際に山に向かったときのみ顕れる

日常の中では姿を隠す

山からの帰り道は、逆から辿ることはできない

あの一瞬を踏みしめた場所へは、再と戻ることはかなわない

かえりの天冥線は、もとあった3番目の終着駅にはかえさない

再と、かつて生活していたのと同じ日常生活へと戻ることは
かなわない

その身の在り処を曳れて、

求める地に、誰かが碑に何かを刻む

求める地に、地図には無い、方位磁針を指す

上ることしかできず、下りることしかできず

逆らえば石に成る

山頂の碑は、誰かが何かを刻む、山頂に登った者だけが

記憶に楔ぶ

跡:1人称だけで展開される、他者なきストーリー
  1人称を持つ、私が私であるとは、どういうことであるか、他者との、あいくらべから
  自己を解くことが出来るのは、夕焼けの時間だけです。



執筆:三年前

就労移行支援に通所した昼休み。
ノベルの話題になったので、三年前に私が書いた文章を掘り起こしてみた。

これは、不思議ちゃんだらけの子どもたちの感覚に、俗人的に矮小化させた内的照合枠から、もっと目を向ける子どもたちの、感覚的な煌めきに、、言うなれば従業員への視野を拡げる注意誘導をするべく

俺が、山に登る理由を訊ねられた回答として書いた、名もなき作文です。


そろそろ、夕闇に、再た、筆をおろしたいナ。


 

 ほぅ。

 

さくぶんの、りはびりに・・懐かしいなぁ、ブログってやつゎ。🍶wick,

 

思ったことを思ったままに書く、このアメブロでも、

ジャンルによっては難しかった。ナ。

今もそんなに変わらない部分はあるよ、

おいらは、如何せん影の多いヤカラだっただろうから。

 

 

 

一本指を口元に近づける。ゆっくり周りを見渡しながら、

どうしようもない腑抜けた顔で視線を流す。

 

 

 

 

はぃ。

むかーしむかしのことでした。

とあるEzwebというインターフェイスに、ジモティーというサイトがありました。

 

高校生の、文章による戯れの場所でした。

 

 

 

  ・・・おじさん、、、、、10代を、、、、語る。 の巻

 

 

高校生たちは、海で戯れたり、飲んでは歌って、木の上で寝てみたり、

海苔たまの味に、嫌悪感を抱きながらも、行き場の無い心を埋めるような、目先の安らぎを求め、自分も相手も傷つけるようなキスをしたりして過ごしていました。

 

こういった、名前も覚えられない人が増える度に、影が濃くなっていったんだろう。

 

影は、本音の表現への呪いだね。

 

その影や、その影と重なるとになった誰かの影も、、、影の束の間何かに没頭していられる。

ある意味、そういった生活に身を投げていた。

 

 

「影」と取り扱っているコトに魅了されたとも言えるのかもしれな。

酔ってたんだわ。ふられて。

 

行きついたのは、影の果てには、影はない、・・・・と言えばいいのか、

プラトニックな関係ばかりを築くようになっていたょ。

距離の取り方、、境界線、、今でいうバウンダリーってやつには、わりとニオイで判断できるようになった。

 

生半可な心理学の、サイコパス的とも言い得るnya。

体験地を積むための実験というか、

観察やろうというより、首突込み野郎で、おぼれて苦しむ青春のだったけれど、

生々しい、人が人に抱くあらゆる感情を、全身で感じて味わう経験機会はそうない。

 

そうだな、、。彼女たちのことは、よく覚えている。

ねえちゃんにもR.I.P. 義妹ょ、元気してるかな?

 

振り返った時、Ezwebのジモティーのアドレスは、「ぶ~ログ」というwebに様変わりしていた。

 

何時代だろう、ブログがブームになった頃。

 

19歳春、少女の白い杖を折ってからというもの、おいらは光の中に包まれた。

ドラマのような出逢いを、纏わりつく、自分のか相手のかもわからない影たちから

足を洗う理由にこじつけた。

 

 

自分の至らなさから、失恋して、また闇墜ちしたり、浮かれたりを繰り返していたけど、苦しかったけど、形容しがたい(「必要だった」とは。サイコパス的な)

愛し合った人たちもいた。

 

 

もとーい!

19歳。

そこから、6年くらいだったろうか。 まぁドンぶりで。

俺いらは、「ぶ~ログ」でブログを書き始めた。

リアルと切り離されているからこそ、自由に文字で戯れた6年余り。

 

 

 ついぞ、ぶ~ログもサービスが終了するとのことだ。

 

過去を消すべきか迷ったが、それは迷ったふりをしてみただけで、

ちゃっかりUSBに文章をコピーし、日毎に過去記事をupしていった。

 

投稿が多ければ、誰かコメントくれる人がいるかもしれないと思って。

 

時鳥(ほととぎすさん)の囀りを訊いて、アメーバに漂着。


 

 

誰も見ないであろう、ブログの整理に向けて

時系列

 

ぶ~ログ から写し

 

 ORANGE-BOY   (偏見と知識と志・夢のメモ帳)

   emeraldの光

 psychiatriclife

 worst bwoy

 Wing Rider

 時の彷徨者

 BORDER DOG

 時空の狭間-境界犬-

 

アメブロ

 時は今2k10

 女の胸では癒されない傷

 走り続けることがすべてと - rail way

   Brandnew me

 ↓

ん~続ける予定もないが、どうすっぺかな。

一貫したコンセプトは。。。心てきなものと、それと それじゃない とすることの

その曖昧なラインに浸かった感じなのょねー--。

  

そんで、ぐるっぽの機能を楽しんだ。

 

どこのタイミングだったかな、哲学的な何か、自由な語りの場は楽しかった。

そんな時を共有できたみんなにも、あぁ、なついぜ。

 

 

まち君のスピーカーを未だに、仮パクしてる。利息はテキーラのボトルでm(__)m

 

 

 

 

その後、ビジネス的な目的もあり、FB(メタ)にて、ブログ的なものを投稿していた。

FBは、社会の中で生きていく、自分を晒したツールなところが、

自由な文章表現がかなわい領域ってのが どうしても あって、それは、みんなそうかな?

 

 

現実世界でも、まあまあ、アプリを開くエネルギーもなくなるくらい躓いたってわけさ、特に道に石も無いのに躓くんだよ。

メッセンジャーで、プライベートもそうだし、尚のこと

ビジネスのやり取りをするもんじゃない、

るるるあーぅ。 たまったもんじゃああぁーない。

LINEハラスメント コンバッカゲン。みたいなミタイナ。 。ん。

 

抑うつのフリ、(初投稿のタイトル)そんなことはもう、しなければできもしない、そこが、

橙少年から橙おじさんへの 多少の成長なのかもしれないな。

 

 

 

スっ飛ばしたけれど、(約20年を。。。ゥ)

 

やっぱ、何も書かない期間が空くと、俺いらの脳みそは、悪い意味で醗酵(.ソレ

するミタイに。

 

モハヤ、決まり文句のひさかたぶりに、

アメブロに入ってみて、仕様の変化に  ほぅ。となった、

帰郷して浦島ってわけでもなく、 ほぅ。って。まぁ、そんな、

 

 

橙おじさん。

 

 

 

hey,みんな~ 元気か~ぃ~♪   綴りたかったこと完全に忘れちまったぜ。

ヘローゥ。

 

たぶん度々だがブログの書き方を忘れている。書き方の感覚ってやつ。

ランニングをしていなくても、専門的にやってるわけじゃないなら、普通 走り方なんて忘れない。

だから、本当は忘れているわけじゃない。

 

春からメールなんて、殆ど、定型文しか作成してこなかった。

 

 定型文しか作成してこなかった・・と・・・いうコトは、殆ど思考が 定型文になっちまうのさ

 

定型文というのは、普段の日常コミュニケーションより、よっぽど情報量が多い。

 

 良い例を思いつかないけど、 句読点の数や、何時もの文句とのズレで思いや意図を表現する。

 

少し話題に出しただけのことでも、

○○との間で△△について検討し、□の結論に至りました。

その結果◆になることも考えられますが、進めさせていただいても宜しいでしょうか。ご査収お願い申し上げます。

とか・・・無理やり相手のコンセンサスをひったくり合う感じ、、身を守るための無駄なホウレンソウにテキパキ動けなくなることが

一番の苦痛・・・だった

 

 無駄な と価値づけて表現したわけだが、無駄かどうか判断できるのは、組織の構造ではない

 

 その構造の動力として、全体に神経を張ってればわかるものもある

 外からしかわからないこととか、客観的な数字とか、そういうことじゃあないのよ

 

 だからって、職人気質で論理性に欠ける感覚の押し付けでも、どうしようもない

 

責任を担保させ合う 手続きに必要な論理性、こいつは追及する程、

効率化どころか、お互い不快度を増す始末になるのさ

当然のようにギアを回すグリースは乾くんだよ

 

まさにバビロントラップ

信頼関係があれば 無駄なやりとりをショートカットできるかと言えば、まったくその通りだと思う

 

 

異郷の地で、俺は、俺を信じてもらえなかった。

むしろバカバカしい、、慨嘆  敵の位置に仕立てられた。

格好のスケープゴートだ。

 

会社は辞めてないし、責任者というポジションはもったままだが、

俺はそのレイルから、降りたよ。

 

心身の不調から、傷病手当を申請するに至ったんだ。

 

今日でその3日目、心は未だ 業務改善や管理支配に汚染されている

相手が正しいと確認した事に合意を得てからのソレが、何度も出来ていないと

 

改善策を提案しながら、背後のストロークは、、、俺がやってることは、きっと詰問だ

人間関係や “くらし” の本質は、きっとそういうところにはない

 

俺らしさ俺らしさってのは、きっと、ひとを活かす事だ

 

リハビリ期間であるなら、正面から臨んでやる

成長した俺を取り戻す。座右の銘は変わらない。

 

終点の後は、バックパック背負って未踏のオフロードを進むのさ。

前管理者があと顧客が2人増えたら
売り上げはトントンだ

嘘ではないが 概ね 嘘


事務局が損益計算をした

損益分岐の谷底が見える月が早くて驚いた

どうしようもない


株主から

運営責任者は 三倍働くしかない

と 言われたのでした


オワタ(^_^)/~

のメロディーが 頭に流れる


ふはははは

ワクワクするじゃん

俺ほど天性の屈強なレジリエンス持った人間もおるまいな


月はじめ、働き過ぎで
ダンボールの山の中で感情失禁してた俺。


たぶん 仕事能力上がった

今まで 社員と8時間かけて処理してた 事務仕事など など

1人で 事務所で処理をする

飯とか食わなきゃ
4時間もかからない


三倍 働くってのは

可能だな



俺ってば そういや本社の メンタルヘルス担当で

長時間労働と抑鬱の関係が ああだから こうだから

と 安全衛生委員会で
ごにょごにょ してなかったっけ



移動中に 朝起きた~
支度した~
移動中に経営書を読み
みんなが来る前に 個人業務片付けて

みんなが帰った後 ほうれん草の残しを見直して

電車でまた 経営書よんで

電話で寝るまで 経営会議



ハードレコーダーが壊れていたのが救いだな


そう

過去が無いから 屈強なレジリエンスで当たり前なのさ


ん? ステラテラの効用だって?


そうかもなタバコクラブ
疲れてんのか 疲れてないのかわからなくて

夜明け前から 神経張り巡らしてシャカリキに働いて

社長に業務報告して 気が抜けて 少し泣きそうな気分になる


1日の中に あまりにも色々な種類の感情を揺さぶられる


現 管理者への憤りを 引き継ぎ業務を受けている身で発散出来ない羽交い締め感と


国保連の請求、上限管理を マスター出来ず(1日でわ)

予備知識が足りなくて計算能力の低い自分の自分に対する憎しみと

もっと その新天地の職場でスタッフやクライエントとコミュニケーションを取りながら働きたい 働きたい 働きたい という

この働きたい ワクワクの衝動


それに 為すべきことを自分で todo化することの余りの多さ

厚働省の要項に批准するだけでも骨が折れるが

管理者たる俺が 全て 人を背負って 営業も含めて

全部 俺がやらなくちゃいけない


お~ つらい

本社が いくらでもバックアップしてくれるんだけど

俺へ投資してくれた人に報いるだけ

俺らしさを全面に発揮して 燃え尽きたい



たぶん すげー余裕ない

これほど 数時間単位で余白が無いくらいカレンダーが埋まったのは
たぶん生まれて初めてかもしれない

(ともだちと遊ぶ予定で埋まってた若い頃は除く)




これ書いてて 自分の自分だけの時間を捻出しなきゃいけないなって 今思ったよ


ニンテンドースイッチのマリオすらクリア出来てない

実費で買った何冊もの本もあるしなあ


とかく 自分で考えて 接待や営業や情報引き出すランチ会やなんやら

自分でよくわかんないし ああ 俺が計画してんのに 何か必要なことを自分で思う自然な流れでやってるだけで

実感感(じっかんかん)が よくわからない

実感が湧かないんじゃない

実感感←が もうよくわからない

でも 意味付けることが 今は 野暮だと 俺の直観が 俺に言う


俺は誰だ?

JCパンク君に見習って

俺もグルッポ見ていい時間を区切ろうと思う


まず ブログ とそのコメントはいつでもぉk

グルッポの類を見ていい時間

・入浴中
・22時~25時
・休み時間
・出勤中の電車と仕事終わり~帰宅までの道のり
・本の章を読み終えた後のブレイクタイムに10分まで


+ 1日 この1時間のうちだけは 自分にいいよ


これくらいゆるくてもないよりは良かろう


じゃ 今からそれで行くか

13時30から 月末まで それでスタート!


願わくば、ブログの頻度を増やしたい

明けましておめでとうございます。

久々にブログを書くんだけど、誰かに見せるための文章にはせず

原点のスタイルに倣って 内省型で書こうと思う。


前から 可能性の話として 勤め先の会社が放課後デイを買収する計画があった

利用者不足で赤字になって
経営者(一緒にホームパーティーしたことあるような知り合い)が撤退することになって

そいつ、援助のマインドも無くて 撤退を決めてからやる気ゼロで
買収を検討して視察をするうちに 投げ槍モードなんだ


それは 彼の人生なんだら構わないし

彼の経営の仕方や 撤退によって 子供たちや職員が 路頭に迷うことになる


だから私が助けなければ、なんてゆーようなメシアを演じる積もりは甚だ無い


その状況の中で 俺は 使える全てを搾って 身を捧げるつもりではいてる

顧客を増やす、売り上げを増やすことが何のためか なんてのはもう二の次で

とかくしなければならないコトの波や不安に襲われる感覚を幸せに思う
空に飛び立った あの光は もう追いかけられなくなって

今が眩しい俺は どんどん忘れてゆくんだ

償いは もうきっと とっくに完済しているのに

時を奪うということが また新しく 償わなければいけないローンを作る


それを 負債だと思って 負債にしたくて してるのは 俺なんだ

というか 俺だけなんだ

一生 負債を払い続ける そんな調子の良い覚悟をしてるのに

時間ってのは無常だよな

2人を繋ぐ あの星の輝きが もう だんだん忘れて来てさ

たまに強く

時が飛べたらいいのになって 思うんだ


心はいつだって そこに飛べるのに

日常が 眩しくて


悪びれることなどは 全身全霊をもってしてしないし

すべての選択に 後悔は無いのだけれど

それでも 時を飛びたくなるんだ

それが不可逆でもかまわないからと願うほどに



俺ってのは 最初に あのこの光であることに耐えられなくなって

翳りの道を進んだ時から

ずっと 身体が張り裂けそうなんだ


美味しい果実は あれもこれも欲しいタチなんだけどね

そういう次元でない 本当に大切なものもまた あるんだよ 幾つかね






年をとると 時の流れが 本当に早過ぎるのに驚く

俺は いかなる時間軸の過去も並行して束ねながら
ぶつ切りの今を生きている

生きているよ

だから 今、でないものは忘れるし

いつだって あの頃のように思い出す

例えば 二時間前に 喧嘩したら

三時間前の感覚になって なんで喧嘩してるんだか 内容はわかっても 感情の連続は ぶつ切りだから

相手は肩を透かされたように 感情の応戦をしたかったとしても

よくわからない ぶつけられない別の今、という異空間に 流されてしまう

でなきゃ 暖簾に手押しを続けることになるってわけ







もう これを書いてる今 、は 今から飲む ワインと チーズの味ばかり気になってんだから

訳ないね


こんな俺と 上手いこと人生やっていける奴は 本当に いるのだろうか ね?
この街の外には果てしなく荒野が続いていて
野犬が駆ける度に 砂埃が舞い飛んで来る

野犬の世界でも 強者は縄張りを広げ
弱く落ちこぼれた野犬は 縄張りを追い出され
住処も家族も失う

ある時、猟で生計を成す斜向かいの家の老い耄れが傷だらけの野犬を抱えて戻って来た

野犬は過食部が少なく 人の食用にするには手間ばかり掛かり
効率の良い食材とは言えないのだが

四肢の鈍った老い耄れが生を繋ぐには必要な糧だったようだ
ところが、その傷だらけの野犬は、腹に子を抱えていて 産み落とした直後に息絶えた

そうして老い耄れは、余生を子犬を育てることに費やした

この街の者は誰も
老い耄れも、無論、その犬も助けようとはしない
私もまたそうであった

老い耄れもそれを受け入れている筈であり

老い耄れが朽ちるのと同時に野犬の仔も射殺されることを

犬もまた 知っていたように感じた



そして
近所の泡沫の賑やかな甘えた鳴き声は消え

夜の静寂に また遠吠えが響くの聞きながら眠る日々に戻った