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ほぅ。
さくぶんの、りはびりに・・懐かしいなぁ、ブログってやつゎ。🍶wick,
思ったことを思ったままに書く、このアメブロでも、
ジャンルによっては難しかった。ナ。
今もそんなに変わらない部分はあるよ、
おいらは、如何せん影の多いヤカラだっただろうから。
一本指を口元に近づける。ゆっくり周りを見渡しながら、
どうしようもない腑抜けた顔で視線を流す。
はぃ。
むかーしむかしのことでした。
とあるEzwebというインターフェイスに、ジモティーというサイトがありました。
高校生の、文章による戯れの場所でした。
・・・おじさん、、、、、10代を、、、、語る。 の巻
高校生たちは、海で戯れたり、飲んでは歌って、木の上で寝てみたり、
海苔たまの味に、嫌悪感を抱きながらも、行き場の無い心を埋めるような、目先の安らぎを求め、自分も相手も傷つけるようなキスをしたりして過ごしていました。
こういった、名前も覚えられない人が増える度に、影が濃くなっていったんだろう。
影は、本音の表現への呪いだね。
その影や、その影と重なるとになった誰かの影も、、、影の束の間何かに没頭していられる。
ある意味、そういった生活に身を投げていた。
「影」と取り扱っているコトに魅了されたとも言えるのかもしれな。
酔ってたんだわ。ふられて。
行きついたのは、影の果てには、影はない、・・・・と言えばいいのか、
プラトニックな関係ばかりを築くようになっていたょ。
距離の取り方、、境界線、、今でいうバウンダリーってやつには、わりとニオイで判断できるようになった。
生半可な心理学の、サイコパス的とも言い得るnya。
体験地を積むための実験というか、
観察やろうというより、首突込み野郎で、おぼれて苦しむ青春のだったけれど、
生々しい、人が人に抱くあらゆる感情を、全身で感じて味わう経験機会はそうない。
そうだな、、。彼女たちのことは、よく覚えている。
ねえちゃんにもR.I.P. 義妹ょ、元気してるかな?
振り返った時、Ezwebのジモティーのアドレスは、「ぶ~ログ」というwebに様変わりしていた。
何時代だろう、ブログがブームになった頃。
19歳春、少女の白い杖を折ってからというもの、おいらは光の中に包まれた。
ドラマのような出逢いを、纏わりつく、自分のか相手のかもわからない影たちから
足を洗う理由にこじつけた。
自分の至らなさから、失恋して、また闇墜ちしたり、浮かれたりを繰り返していたけど、苦しかったけど、形容しがたい(「必要だった」とは。サイコパス的な)
愛し合った人たちもいた。
もとーい!
19歳。
そこから、6年くらいだったろうか。 まぁドンぶりで。
俺いらは、「ぶ~ログ」でブログを書き始めた。
リアルと切り離されているからこそ、自由に文字で戯れた6年余り。
ついぞ、ぶ~ログもサービスが終了するとのことだ。
過去を消すべきか迷ったが、それは迷ったふりをしてみただけで、
ちゃっかりUSBに文章をコピーし、日毎に過去記事をupしていった。
投稿が多ければ、誰かコメントくれる人がいるかもしれないと思って。
時鳥(ほととぎすさん)の囀りを訊いて、アメーバに漂着。
誰も見ないであろう、ブログの整理に向けて
時系列
ぶ~ログ から写し
ORANGE-BOY (偏見と知識と志・夢のメモ帳)
emeraldの光
psychiatriclife
worst bwoy
Wing Rider
時の彷徨者
BORDER DOG
時空の狭間-境界犬-
アメブロ
時は今2k10
女の胸では癒されない傷
走り続けることがすべてと - rail way
Brandnew me
↓
ん~続ける予定もないが、どうすっぺかな。
一貫したコンセプトは。。。心てきなものと、それと それじゃない とすることの
その曖昧なラインに浸かった感じなのょねー--。
そんで、ぐるっぽの機能を楽しんだ。
どこのタイミングだったかな、哲学的な何か、自由な語りの場は楽しかった。
そんな時を共有できたみんなにも、あぁ、なついぜ。
まち君のスピーカーを未だに、仮パクしてる。利息はテキーラのボトルでm(__)m
その後、ビジネス的な目的もあり、FB(メタ)にて、ブログ的なものを投稿していた。
FBは、社会の中で生きていく、自分を晒したツールなところが、
自由な文章表現がかなわい領域ってのが どうしても あって、それは、みんなそうかな?
現実世界でも、まあまあ、アプリを開くエネルギーもなくなるくらい躓いたってわけさ、特に道に石も無いのに躓くんだよ。
メッセンジャーで、プライベートもそうだし、尚のこと
ビジネスのやり取りをするもんじゃない、
るるるあーぅ。 たまったもんじゃああぁーない。
LINEハラスメント コンバッカゲン。みたいなミタイナ。 。ん。
抑うつのフリ、(初投稿のタイトル)そんなことはもう、しなければできもしない、そこが、
橙少年から橙おじさんへの 多少の成長なのかもしれないな。
スっ飛ばしたけれど、(約20年を。。。ゥ)
やっぱ、何も書かない期間が空くと、俺いらの脳みそは、悪い意味で醗酵(.ソレ
するミタイに。
モハヤ、決まり文句のひさかたぶりに、
アメブロに入ってみて、仕様の変化に ほぅ。となった、
帰郷して浦島ってわけでもなく、 ほぅ。って。まぁ、そんな、
橙おじさん。
hey,みんな~ 元気か~ぃ~♪ 綴りたかったこと完全に忘れちまったぜ。
ヘローゥ。
たぶん度々だがブログの書き方を忘れている。書き方の感覚ってやつ。
ランニングをしていなくても、専門的にやってるわけじゃないなら、普通 走り方なんて忘れない。
だから、本当は忘れているわけじゃない。
春からメールなんて、殆ど、定型文しか作成してこなかった。
定型文しか作成してこなかった・・と・・・いうコトは、殆ど思考が 定型文になっちまうのさ
定型文というのは、普段の日常コミュニケーションより、よっぽど情報量が多い。
良い例を思いつかないけど、 句読点の数や、何時もの文句とのズレで思いや意図を表現する。
少し話題に出しただけのことでも、
○○との間で△△について検討し、□の結論に至りました。
その結果◆になることも考えられますが、進めさせていただいても宜しいでしょうか。ご査収お願い申し上げます。
とか・・・無理やり相手のコンセンサスをひったくり合う感じ、、身を守るための無駄なホウレンソウにテキパキ動けなくなることが
一番の苦痛・・・だった
無駄な と価値づけて表現したわけだが、無駄かどうか判断できるのは、組織の構造ではない
その構造の動力として、全体に神経を張ってればわかるものもある
外からしかわからないこととか、客観的な数字とか、そういうことじゃあないのよ
だからって、職人気質で論理性に欠ける感覚の押し付けでも、どうしようもない
責任を担保させ合う 手続きに必要な論理性、こいつは追及する程、
効率化どころか、お互い不快度を増す始末になるのさ
当然のようにギアを回すグリースは乾くんだよ
まさにバビロントラップ
信頼関係があれば 無駄なやりとりをショートカットできるかと言えば、まったくその通りだと思う
異郷の地で、俺は、俺を信じてもらえなかった。
むしろバカバカしい、、慨嘆 敵の位置に仕立てられた。
格好のスケープゴートだ。
会社は辞めてないし、責任者というポジションはもったままだが、
俺はそのレイルから、降りたよ。
心身の不調から、傷病手当を申請するに至ったんだ。
今日でその3日目、心は未だ 業務改善や管理支配に汚染されている
相手が正しいと確認した事に合意を得てからのソレが、何度も出来ていないと
改善策を提案しながら、背後のストロークは、、、俺がやってることは、きっと詰問だ
人間関係や “くらし” の本質は、きっとそういうところにはない
俺らしさ俺らしさってのは、きっと、ひとを活かす事だ
リハビリ期間であるなら、正面から臨んでやる
成長した俺を取り戻す。座右の銘は変わらない。
終点の後は、バックパック背負って未踏のオフロードを進むのさ。
売り上げはトントンだ
嘘ではないが 概ね 嘘
事務局が損益計算をした
損益分岐の谷底が見える月が早くて驚いた
どうしようもない
株主から
運営責任者は 三倍働くしかない
と 言われたのでした
オワタ(^_^)/~
のメロディーが 頭に流れる
ふはははは
ワクワクするじゃん
俺ほど天性の屈強なレジリエンス持った人間もおるまいな
月はじめ、働き過ぎで
ダンボールの山の中で感情失禁してた俺。
たぶん 仕事能力上がった
今まで 社員と8時間かけて処理してた 事務仕事など など
1人で 事務所で処理をする
飯とか食わなきゃ
4時間もかからない
三倍 働くってのは
可能だな
俺ってば そういや本社の メンタルヘルス担当で
長時間労働と抑鬱の関係が ああだから こうだから
と 安全衛生委員会で
ごにょごにょ してなかったっけ
移動中に 朝起きた~
支度した~
移動中に経営書を読み
みんなが来る前に 個人業務片付けて
みんなが帰った後 ほうれん草の残しを見直して
電車でまた 経営書よんで
電話で寝るまで 経営会議
ハードレコーダーが壊れていたのが救いだな
そう
過去が無いから 屈強なレジリエンスで当たり前なのさ
ん? ステラテラの効用だって?
そうかもな
夜明け前から 神経張り巡らしてシャカリキに働いて
社長に業務報告して 気が抜けて 少し泣きそうな気分になる
1日の中に あまりにも色々な種類の感情を揺さぶられる
現 管理者への憤りを 引き継ぎ業務を受けている身で発散出来ない羽交い締め感と
国保連の請求、上限管理を マスター出来ず(1日でわ)
予備知識が足りなくて計算能力の低い自分の自分に対する憎しみと
もっと その新天地の職場でスタッフやクライエントとコミュニケーションを取りながら働きたい 働きたい 働きたい という
この働きたい ワクワクの衝動
それに 為すべきことを自分で todo化することの余りの多さ
厚働省の要項に批准するだけでも骨が折れるが
管理者たる俺が 全て 人を背負って 営業も含めて
全部 俺がやらなくちゃいけない
お~ つらい
本社が いくらでもバックアップしてくれるんだけど
俺へ投資してくれた人に報いるだけ
俺らしさを全面に発揮して 燃え尽きたい
たぶん すげー余裕ない
これほど 数時間単位で余白が無いくらいカレンダーが埋まったのは
たぶん生まれて初めてかもしれない
(ともだちと遊ぶ予定で埋まってた若い頃は除く)
これ書いてて 自分の自分だけの時間を捻出しなきゃいけないなって 今思ったよ
ニンテンドースイッチのマリオすらクリア出来てない
実費で買った何冊もの本もあるしなあ
とかく 自分で考えて 接待や営業や情報引き出すランチ会やなんやら
自分でよくわかんないし ああ 俺が計画してんのに 何か必要なことを自分で思う自然な流れでやってるだけで
実感感(じっかんかん)が よくわからない
実感が湧かないんじゃない
実感感←が もうよくわからない
でも 意味付けることが 今は 野暮だと 俺の直観が 俺に言う
俺は誰だ?
俺もグルッポ見ていい時間を区切ろうと思う
まず ブログ とそのコメントはいつでもぉk
グルッポの類を見ていい時間
・入浴中
・22時~25時
・休み時間
・出勤中の電車と仕事終わり~帰宅までの道のり
・本の章を読み終えた後のブレイクタイムに10分まで
+ 1日 この1時間のうちだけは 自分にいいよ
これくらいゆるくてもないよりは良かろう
じゃ 今からそれで行くか
13時30から 月末まで それでスタート!
願わくば、ブログの頻度を増やしたい
久々にブログを書くんだけど、誰かに見せるための文章にはせず
原点のスタイルに倣って 内省型で書こうと思う。
前から 可能性の話として 勤め先の会社が放課後デイを買収する計画があった
利用者不足で赤字になって
経営者(一緒にホームパーティーしたことあるような知り合い)が撤退することになって
そいつ、援助のマインドも無くて 撤退を決めてからやる気ゼロで
買収を検討して視察をするうちに 投げ槍モードなんだ
それは 彼の人生なんだら構わないし
彼の経営の仕方や 撤退によって 子供たちや職員が 路頭に迷うことになる
だから私が助けなければ、なんてゆーようなメシアを演じる積もりは甚だ無い
その状況の中で 俺は 使える全てを搾って 身を捧げるつもりではいてる
顧客を増やす、売り上げを増やすことが何のためか なんてのはもう二の次で
とかくしなければならないコトの波や不安に襲われる感覚を幸せに思う
今が眩しい俺は どんどん忘れてゆくんだ
償いは もうきっと とっくに完済しているのに
時を奪うということが また新しく 償わなければいけないローンを作る
それを 負債だと思って 負債にしたくて してるのは 俺なんだ
というか 俺だけなんだ
一生 負債を払い続ける そんな調子の良い覚悟をしてるのに
時間ってのは無常だよな
2人を繋ぐ あの星の輝きが もう だんだん忘れて来てさ
たまに強く
時が飛べたらいいのになって 思うんだ
心はいつだって そこに飛べるのに
日常が 眩しくて
悪びれることなどは 全身全霊をもってしてしないし
すべての選択に 後悔は無いのだけれど
それでも 時を飛びたくなるんだ
それが不可逆でもかまわないからと願うほどに
俺ってのは 最初に あのこの光であることに耐えられなくなって
翳りの道を進んだ時から
ずっと 身体が張り裂けそうなんだ
美味しい果実は あれもこれも欲しいタチなんだけどね
そういう次元でない 本当に大切なものもまた あるんだよ 幾つかね
年をとると 時の流れが 本当に早過ぎるのに驚く
俺は いかなる時間軸の過去も並行して束ねながら
ぶつ切りの今を生きている
生きているよ
だから 今、でないものは忘れるし
いつだって あの頃のように思い出す
例えば 二時間前に 喧嘩したら
三時間前の感覚になって なんで喧嘩してるんだか 内容はわかっても 感情の連続は ぶつ切りだから
相手は肩を透かされたように 感情の応戦をしたかったとしても
よくわからない ぶつけられない別の今、という異空間に 流されてしまう
でなきゃ 暖簾に手押しを続けることになるってわけ
もう これを書いてる今 、は 今から飲む ワインと チーズの味ばかり気になってんだから
訳ないね
こんな俺と 上手いこと人生やっていける奴は 本当に いるのだろうか ね?
野犬が駆ける度に 砂埃が舞い飛んで来る
野犬の世界でも 強者は縄張りを広げ
弱く落ちこぼれた野犬は 縄張りを追い出され
住処も家族も失う
ある時、猟で生計を成す斜向かいの家の老い耄れが傷だらけの野犬を抱えて戻って来た
野犬は過食部が少なく 人の食用にするには手間ばかり掛かり
効率の良い食材とは言えないのだが
四肢の鈍った老い耄れが生を繋ぐには必要な糧だったようだ
ところが、その傷だらけの野犬は、腹に子を抱えていて 産み落とした直後に息絶えた
そうして老い耄れは、余生を子犬を育てることに費やした
この街の者は誰も
老い耄れも、無論、その犬も助けようとはしない
私もまたそうであった
老い耄れもそれを受け入れている筈であり
老い耄れが朽ちるのと同時に野犬の仔も射殺されることを
犬もまた 知っていたように感じた
そして
近所の泡沫の賑やかな甘えた鳴き声は消え
夜の静寂に また遠吠えが響くの聞きながら眠る日々に戻った