国旗の重み 靖国編~ブラジルからの手紙~ | ブー子のブログ

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損してもいい、と思ったら、やればいい。
それはやりたいことだから。



【主文】

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ オットー・フォン・ビスマルク


今から約150年前 日本が開国したとき、アジアの有色人種国家で、
完全な形で独立を維持していたのは日本とタイの二カ国だけでした。

今でも国際法の父と呼ばれているオランダの法学者グロティウスは、
世界の秩序を守るため次のような原則を作りました

「たとえその地域を事実上、支配する住民がいても、
国際法の主体たり得る国家によって支配されない限り、
無主の地であり、最初に実効ある支配を行った国家の領有が認められる」

「国際法の主体たり得る国家」
とは、言うまでもなく白人国家の事です。

大昔の話だと思いますか?

いいえ。
日本が開国した当時、北米大陸では、先住民であるインディアンの掃討作戦の真っ最中でした。
インディアンの掃討が完了し、アメリカ政府が「フロンティア(新天地)の消滅」を
宣言したのは、日本が開国してから、30年ほど後のことでした。

そんな時代に、最後の植民地候補地として門戸をこじ開けられた日本が・・・
資源も、広い国土も持たない、こんなに小さな島国が、
独立を維持し続けられたのは、まさに、奇跡としか言いようがありません

しかし、その奇跡は、神から与えられたものではありませんでした
運命に抗いあがき続けもがき続けた先人達がもぎ取った奇跡だったのです。

平和な時代を生きる私達だからこそ絶対に忘れてはならないのです。
私達の享受する、この平和で豊かな日本は
先人たちの尊い犠牲の上に成り立っているということを

国旗の重み 靖国編 ブラジルからの手紙

ブラジルのサンパウロ新聞に

「日本では靖国神社に代わる追悼施設が検討されている」

と報じられたのは、2002年6月のことでした

ブラジル人としての誇りとともに、
自分たちのルーツにも誇りを感じていた日系ブラジル人の子供達は、
このニュースに大変驚き、涙を流して悔しがったそうです

どうしてそこまで・・・と思いますか?
日本と違い、子供の頃から愛国心を教わる彼らの感性は、

「自分たちの血の誇りが傷つけられた」

と感じ取ったのです
日本語学校 松柏学園に通う、12歳から18歳の子供達も
自分は何ができるか、と真剣に考えました

そして、彼らは自分たちの思いを日本人への手紙という形でしたためました
普段ポルトガル語を使って生活する子供達が、
他国語で真面目な文章を書くのは大変な作業でした

習い覚えた日本語で、めいっぱいの気持ちを込めて一生懸命書いたそうです


「私のおばあちゃんは、日本の戦争の間に生まれました。
日本の人達はよく戦いました。
その方々がいらっしゃらなかったら、私のおばあちゃんは平和に生きられなかったでしょう。
だから、心からありがとうございます。
その時、たたかって下さった方々が、靖国神社にいらっしゃいます。
私は第十四使節団として日本へ行きます。
必ず靖国神社で、その方々にお会いしたいです。
そして「ありがとうね。おばあちゃんをまもってくれて」と祈りたいです。
靖国神社、いつまでも、いつまでも私達の靖国神社であって下さい。」
ナタリア・一美・照屋(十六歳)


「戦争が行われている時には、だれが正しいか、だれがまちがっているか、
分かることができますか。
戦争を始めた方が悪いと言いますが、いじめられて、たたかれて、だまっている人がありますか。
どんな生物でも、人間でも、心が腹立たしさであふれる時には、勇気がぱっと出てたたかうのです。
ライオンだって子犬だって同じでしょう。
昔の人達はまちがえたと言えますか。
人をころしたり、ころされたりして、そして、だれがあっていたか、だれがまちがっていたか、
決めるのはだれにもわからないのです。
だからよその国が、「あなたの方が悪かった」と言うのはまちがっています。
私達は、ほこりをもつことが大切です。
ほこりのために死んだ人達にいのります。
自分の国を、自分の家族を、自分のふるさとをまもるために、たたかった人達をそんけいしないということは、
ほんとうにはずかしいことです。
僕が今書いている文は、だれかに読んでもらえるか分かりません。
ただ、僕の気持ちは、神につたえることが出きたと思います。
靖国神社は、神様がまもって下さっている、なくなった方々の大切なお社です。
靖国神社のことを思わない人は、ほんとうにばかな、かわいそうな人です。
ブラジルの僕達もいつも祈っています。
少しのばかな人をのぞいて、世界の人達が、靖国神社の大切さが分かっていると思います。
日本人はわかっていますか。」
スワン・勇樹・浜崎(十七歳)


「二〇〇〇年十二月に、私は第十三使節団として日本へ行きました。
あそこで、沖縄や広島でおこったせんそうの事をみました。
原爆資料館や江田島や靖国神社で、いろいろなお話を聞きました。
そして、せんそうの意味が深く分かりました。
戦争がなかったら、人々は死ななくてよかったのに。
戦争というものはすごく苦しいものです。
けれど、私がもっとおどろいた事は、戦争にいった人達のすばらしい気持ちだった。
あなた方は自分の国日本をまもるために、
そして自分の家族の命をまもるために、自分の命をかけました。
あなた達は敵にふくしゅうをする気持より、
自分の国の誇りをまもるために「死ぬこと」をえらびましたね。
私はそれは本当にげんしゅくな気持であると思います。
私は江田島でこんなメッセージを見ました。
「正道一心」という書でした。
だれかが弟のために自分の血で書いたものでした。
女の子は髪の毛で「日本」と書きました。
それは私の心にふかい感動をおこさせました。
皆様、戦争で日本はまけた。
でも、あなた方の命はむだにはならなかった。
だって、今、私達も、日本の人も幸せ一杯でしょう。
だから、あなた方はなくなったけれど、その気持ちは、
いろんな人達に大切なことを教えました。
あなた方のために、今、私は一生けんめい祈ります。
そして、あなたの生命をもらって今生きているよ。
本当にありがとうございました。
日本の人、靖国神社を大切にしてください。
おねがいします。
なくなった人達に誇りをもって下さい。
おねがいします。」
ナタリア・恵美・浅村(十七歳)


「日本とアメリカといろんな国はせんそうしました。
私が生まれる前でした。
どちらが勝ちましたか。
だれも勝ちませんでした。
みんな負けたのですと私は思います。
せんどうでたたかった人たちは、日本人だけじゃなく、
どこの国のひともまつらなければならないのです。
なぜなら、その人たちはその国を、その国の人たちをまもるためにたたかったからです。
ブラジルでは、せんそうでなくなった人にとてもいのります。
でも、日本ではせんそうでなくなった人たちのために「靖国」というすばらしい神社をたてました。
それはとてもすばらしいことです。
その人たちに、死んだことがむだではなかったと思ってほしいのです。
だって私たちはその人たちのおかげでこんなに幸せなのです。
そう思うと、靖国神社を私たちは、いっしょうけんめいまもりたいです。
その人たちのいのちとおなじくらいの重さでまもりたいです」
ジュリオ・章・上田(十五歳)


「追悼・平和祈念のための記念碑など施設の在り方を考える懇談会」
は平成十四年十二月二十四日に、靖国神社とは別の「国立の無宗教の恒久的施設」が
必要だとする最終報告書を提出しました。

それによると、新施設は、近隣諸国に配慮して戦没者の「慰霊」「顕彰」は
行わないとする一方で、敵国将兵も追悼し、現行憲法に基づき、「不戦の誓い」を行う場だそうです。


参考・引用

明成社
「日本の皆様、靖国神社を守って下さい」
真倫子 川村 Mariko Kawamura編

最後までご覧いただきありがとうございました
【結び】


日教組の手の届かない、遠いブラジルの地で生まれ育った日系人の子供たちの方が、

はるかに凛々しく、正しい知識と豊かな感情を育んでいるんですね。

言葉の1つ1つが重く感動いたしました。



今の日本は懲りもせず、飽きもせず。

『反日』『反日』『あぁ。反日』キャンペーンが粛々と続けられて、

うんざりさせられています。

脂のりのりの霜降り肉も3日も食べたらあきまっせ。

ところが、あまりにもしつこいせいか、
『靖国で会おう』と散っていった英霊達への思いを強くする反動が芽生えてきているようにおもいますが。

気のせいですかね?