【オピニオン】東京電力 予想外の破綻? | ブー子のブログ

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損したらどうしよう、と思ったら、やめればいい。
それはやりたくないことだから。

損してもいい、と思ったら、やればいい。
それはやりたいことだから。

 東日本の広範囲を大震災と津波が襲ってから今週末で3カ月となる。事故を起こした福島第1原子力発電所を所有する東京電力にとり、状況は悪くなる一方だ。今週、東電株は最安値を更新した後、わずかに回復した。株主たちは持ち株を売り払い、株価を押し下げ、自らの首を絞める格好となった。

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 その最も明白な原因――今期の損失が5700億円に上るという週末の報道と、東京証券取引所社長の「法的処理が望ましい」という発言――も、まったく道理にかなっていない。原子力災害の費用負担が天文学的な金額になり得ることは以前から分かっており、それがこれまでの株価下落の原因だった。「天文学的な金額」を明らかにすることで一層のパニックを正当化できるとはとても思えない。

 正式な破綻処理などと馬鹿なことを言ってはいけない。日本航空とは対照的に、程々の破綻処理が有益である。日航の破綻処理は、政治的ご都合主義の見事な芸当だった。慎重に演出された手順により、同社は労働組合を結成する数千人の過剰人員を削減でき、政治家や銀行は法的処理という便利な幕の裏に身を隠すことができた。これにより、日本を代表する航空会社の破綻の指揮を執るという屈辱を誰も負わずにすんだ。また、同社を修復する、と言うより同社を本当に破綻させてその価値ある資産を市場で分割させることをめぐる非難を誰も受けずにすんだ。

 東電の場合はまったく逆だ。福島第1原発関連の賠償金を支払うために東電を存続させることが政府の願いである。政治家たちは、税金を使ってすぐに賠償金を配りたいと思っている。これは政治的に望ましい政策だ。しかし、その財源を納税者が負担することは認めたくないとも思っている。政治的に不人気な政策だからだ。そこで彼らは賠償基金を創設することで乗り切ることにした。政府が基金にお金を「貸し」、これを(理論的には)東電、および原発を運営する他の電力事業者が時間をかけて返済していく。この策略は、賠償に責任を負うことのできる企業体として、東電を存続させられるかどうかにかかっている。本当に破綻したらこの責任は帳消しになってしまうのだ。

 それに多分、東電はいずれ、それなりに返済してしまうだろう。同社は公益事業者だ。日航の場合はより財政状態の安定した競合他社に顧客を奪われる恐れがあったが、東電の顧客ベースは保証されている。サプライヤーについても同様だ。公益事業者の破綻が認められるとは誰も真剣に考えないため、必ずしも信用凍結に陥るとは限らない。実際、震災後2カ月で、日本の各銀行は東電に対し、震災前の銀行融資残高と同等の資金を貸し付けている。

 これまでの根本的な問題は政治的意思の欠如である。政府が東電の救済を望んでいたのなら、とっくに着手できていただろう。しかし、東電の過ちを修正するために税金を過剰に費やせば有権者の怒りを買いかねない。政府が株主にも責任を負わせ、債権者にも債務減免を強いることができないのならなおさらである。

 さらに、東電が困難からうまく抜け出すためには電気料金を大幅に値上げしなければならないという問題がある。すでに電気料金が他の先進国の2倍の日本で値上げをすれば、競争力への深刻な脅威となるだろう。

 では政治家は何をするべきか。「何もしない」というのが今のところ最善の答えだ。偶然にもこれは日本政府の得意とするところであり、幸運と言えよう。

 短期的に何もしない場合、結果として一つ言えるのは、株主が東電株を時価評価して批判を受ける状況になるには相当時間がかかるということだ。同社株は震災前の水準から約90%下落している。多分これだけでは、破綻申請がなされ、株主がすべてを失った姿を眺めるときほどの満足感は得られないだろう。しかし、ここからがスタートだ。やや長い時間、苦境に立たされれば、債権者にしても正式に破綻した場合に課せられたであろう債務減免を十分素直に受け入れるようになるかもしれない。

 さらに有益なことに、いま問題を解決しなければ事態は一層悪化する。株主はいら立ちを募らせ、債権者は怒りを増し、最悪なことに納税者たちは提案されたあらゆる計画の詳細に目を光らせるようになる。これが後に、より抜本的な解決策への下地になるかもしれない。

 いま支持を集めている意見に、電力セクターの自由化を求めるものがある。現在10地域に存在する垂直統合的な独占事業者(その1社が東電)を発電事業と送電事業に分離し、市場を開放して新規参入を可能にするといった改革案が考えられる。これに伴う事業部門の売却で、おそらく東電は災害復旧や賠償のための資金をより多く調達できるだろう。

 もちろん、これほど大胆なことが日本で起こり得ると考えるのは非常識だ。こうした計画の明確なメリット、デメリットについて改めて検討する必要もある。ただ要するに、政府の遅れが長引けば長引くほど、破綻した公益事業者に多額の税金を注ぎ込みさえすれば困難な選択肢から逃れられる、というわけにはいきにくくなる。伝統的な破産裁判所の目的は、財政上の不愉快な現実に直面した人々に大胆な行動をとらせることだ。東電は、概念的にそれと同様の政治プロセスに遭遇することになるかもしれない。

(筆者のジョセフ・スターンバーグは、ウォール・ストリート・ジャーナル・アジアのコラム『ビジネス・アジア』のエディター)