永田町の皆様 東大先生の許可が下りました。 | ブー子のブログ

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子供好き? ブログネタ:子供好き? 参加中


「福島第一原発20km圏内の住民を住まわせないのは、ばかげたことだ。喫煙の方ががんに罹る率が高い」

と(『TBS小島慶子きらきら』4.26.15:00放送)

東大中川恵一は、ついに住民に20km圏内に住めと言い出した。


http://www.u-tokyo-rad.jp/staff/nakagawa.html

だそうです。

永田町の皆様 東大先生の許可が下りました。

1日も早く国会を福島原発20キロ圏内に速やかに移動して御座でも敷いて開催して下さい。

きっと、物凄い速さで復興が成し遂げられるでしょう。

癌の権威の先生のお墨付きです。

ご心配なく。



1人もんの頃は子供って大変だなぁ。

どうやって育てるんだろう?

なんて思っていた。

若い時って自己本位な体質でイケイケGOGOだから、

自我(我良し)の固まりなので、他人は他人だと感じてしまっているんだろうな。

それでもやっぱり、子供を授かり毎日毎日我が子を見ていると、

私の脳のブレーカーのスイッチが入った。

『生まれてきてくれてありがとう』と日々思うようになり、

自分の思考がどんどんと変わって行きそして、

自分に欠けていた思いやりという心が少しづつ芽生えて行った。

更に私は自分の子供を怒るように他人の子供にも遠慮なく怒る プンプンDASH!

男の子が女の子と揉めていれば、

『邪馬台国の時代から卑弥呼という女官が日本を統治していたんだよ。

女の人のお陰で今の日本があるんだから、

女の人をそんな風に扱ったらいかん。罰が当たるぞ プンプン


とか言っても素直に聞くもんじゃない。

『ばかだなぁ。お前達が犬の遠吠えみたいに

バカだの。死ねだの。言っている方が恥ずかしい。

男に二言はないという言葉がある。

自分で言った言葉に責任を持つって言う意味だよ。

もし〇〇ちゃんがお前達の言った言葉で本当に死んじゃったら当然責任を持つって事だぞ。

〇〇ちゃんに取り返しの付かない事をしてしまうんだぞ。

その責任を持って一生を生きていかなきゃいけなんだ。

それでも良いんだな!』


まだグチグチと言いながらも男の子って可愛いんだよ ニコニコ

手をつないで来る子もいれば、

家においでよ。なんて言ってくる子もいる(笑)

『行ってどうするんだよ。』

と聞けば夕飯を一緒に食べようだって(笑)

とかく子供を叱ったとしても今まで1度も怖いおばちゃんだと言われた事もなく、

逆になついて来る。

かと言ってヒステリックになったらいかんよ。

子供も引くし。



子供は純真だから放置するより逆に関わる事の方が子供も受け入れてくれる。

そして大事な時期に他人から叱られたりする事は、

道徳的な意識や価値観を養うことにもなるそうだ。

そして、

東大と言う看板をしょったお偉い先生のように、

傲慢な非人道的な暴言を吐くような子供を社会に作り出したくはないし、

その犠牲にはさせたくないと思っている。


最後に胸が詰まる震災と向き合う子供の体験日記。

東日本大震災 「顔が水より冷たく…」 被災児童が日記
毎日新聞 4月25日(月)10時51分配信


 「お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました」。巨大地震と大津波が東日本を襲ったあの日、子供たちは何を見、その後をどう生きたのか。岩手県山田町の町立大沢小学校を3月に卒業した箱石佑太君(12)が毎日小学生新聞に寄せた体験日記には震災と向き合う姿が率直につづられていた。


 ◇3月11日

 卒業式の歌の練習をしていました。とてもゆれの大きい地震が来ました。最初は単なる地震だと思っていました。大津波警報が出ても、どうせこないと思っていました。来たとしても10センチメートル程度の津波だと思っていました。全然違いました。ぼくが見たのは、国道45号線を水とがれきが流れているところです。お母さんとお父さんが津波が来る前に大沢小に来ているところは見ました。だけどその後、お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。お父さんのことが不安でした。車を運転しながら津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました。

 ◇3月18日

 津波から1週間。お母さんは、もうこんなに日がたっているのに、まだお父さんが見えないとあきらめていました。じいやんは泣いて「家も頑張って建てるし、おまえたちだってしっかり学校にいかせられるように頑張るから、お父さんがもしだめだとしても頑張るからな」と言っていました。

 ◇3月23日

 卒業式でした。「ありがとう」の歌を歌っている時、お父さんに「お父さん、お父さんのおかげで卒業できたよ。ありがとう」と頭の中で言いました。そしたらなぜか、声がふるえて涙が少し出てきました。その夜、こんな夢を見ました。お母さんとお父さんが宮古のスーパーマーケットから帰ってきた夢でした。

 ◇3月25日

 親せきの人の携帯に電話がかかってきました。内容は、お父さんらしき人が消防署の方で見つかったということでした。急いで行ってみると、口を開けて横たわっていたお父さんの姿でした。ねえちゃんは泣き叫び、お母さんは声も出ず、弟は親せきの人にくっついていました。顔をさわってみると、水より冷たくなっていました。

 ぼくは「何でもどったんだよ」と何度も何度も頭の中で言いました。「おれがくよくよしてどうすんだ」と自分に言いました。でも、言えば言うほど目がうるんでくるばかりです。お父さんの身に付けていたチタン、東京で買った足のお守りや結婚指輪、携帯。そして驚いたのが時計が動いていたことです。お父さんの息が絶えた時も、津波に飲み込まれている時も、ずっと。お父さんの時計は今はぼくのものになっている。ぼくがその時計をなくしたりすることは一生ないだろう。

 ◇3月26~27日

 見つかった時のお父さんの顔。まだ頭のどこかで見なきゃよかったと。でも見つかったおかげで火葬もできるし、お父さんをさわることができた。お父さんの体は水を飲んだのか胸がふくらんでいるだけだ。やっぱり見つかってよかった。

 ◇3月28日

 きょうは火葬の日。ぼくとねえちゃんとお母さんとけいじろうは、手紙を書いて、お父さんと一緒に入れてやりました。拝んでいる時ぼくは「箱石家は頑張って継ぐからまかせて」と言いました。お墓に骨を埋めるまで、ぼくに骨を持たせてくれました。骨をうめてホッとしました。

 ◇4月7日

 きょうは、ありがたいと心から言える日でした。お父さんとぼくたちの記事を見て、お父さんが東京マラソンを走った時の写真とお手紙を新聞の人が持ってきてくれました。ぼくたち家族に贈る言葉や、さらにはぼくに贈る言葉の手紙もありました。やっぱりお父さんはすごい。今日は本当にありがたい日だ。

 *    *

 箱石君は25日、155人の仲間と一緒に町立山田中学校に入学した。日記は、大沢小の子供たちが復興に立ち向かう様子を紹介する「大沢からの報告」として毎日小学生新聞に11日に掲載。「何回も読み、涙が止まりません。皆様が少しずつでも前に進める日がくることを願っております」(2人の子を持つ東京都北区の女性)とのメールが届くなど大きな反響を呼んだ。「大沢からの報告」は同紙で随時掲載され、次回は5月11日の予定。