写真小話 -20ページ目

写真小話

私が撮影しながら散歩した備忘録的な記録

2025.05.04

 

赤いツツジが溢れる安養寺を出て、おやつのパンを買って材木座方面へ歩きます。

県道を南に折れて、スカ線を横切って南下すると、ちょっとした辻を通ります。

車通りの多い辻にひっそりと佇む馬頭観音の碑、奥の祠は稲荷です。

辻をさらに南に折れて、静かな路地を進みます。

途中にある來迎寺にちょい顔出ししてゆきます。

時宗の來迎寺、三浦氏のお墓と、その家来達のお墓があります。

源氏の挙兵の時に、当初平家方の畠山重忠勢に全滅させられた三浦氏の家来達のお墓だそうです。

その畠山重忠も後に源氏方になるのだけど、北条氏によって二俣川あたりで打ち取られしまいます。

なんちゅうか、戦禍に巻き込まれて命を落とすのは、過ぎてしまえばなんとも空しいものであります。

同じような目に遭わないために、力ない一庶民はどうしたらよいのでしょうか…

來迎寺を過ぎて、路地のドン詰まりを左に曲がります。

ドン詰まりにある祠、もう海も近いので、なんとなくそんな雰囲気を感じます。

今日は、海にほど近い、光明寺の裏山に上がって海と光明寺の山門と富士山が絡んだ写真が撮れないかなぁと思っているので、当の光明寺には寄らずにそそくさと裏山に上がります。

 

こちらは光明寺の裏山に上がる坂の途中にある、日向・延岡の城主、内藤家の墓地です。

案内があるから、そう分かるのだけど、この墓石が画像で見るよりずっとデカいので、迫力があります。

恐らくだれも、コレを見にわざわざ来ないので、いきなり登場すると、えっ!なにコレとなるでしょう。

まぁまぁ草深いのですが、もっと藪に覆われていたら、ちょっとしたアンコールワットのような遺跡を発見した気分が味わえます。

で、九州の日向の城主の墓がなんで鎌倉にあるんですか?

その、内藤さんは元は磐城(福島)の藩主だったんだけど、百姓一揆の引責で延岡にとばされたらしい。

鎌倉に墓があるのはそんな理由もあるのかなぁ。

そして、裏山の坂を上がって、わりと立派な展望台に上がって見ると…

うーん…藪っていうか木で、山門がほとんど見えないじゃん。

富士山も霞んじゃってるし…まぁ時間が時間なので、そこはしょうがないとしても、木は切るなりして一定の展望は維持してほしいものです。

まぁそんな訳で、海と古都っちゅう構図はここで崩壊しちゃいました。

冬に気が向いたらまた来てみるか…

すぐそばに、北条経時の墓所があるので立ち寄ってみる。

展望台の裏にある中学校の脇のほっそーい道を通ってゆきます。

墓所だけ開けていて、誰もいません、ただ静かな時間だけがそこにある感じ…

 

裏山を下りて逗子を目指します。

材木座海岸と由比ヶ浜を遠望しながら下る。

そして、坂を下りてすぐにある小坪隧道をくぐると、もうそこは逗子世界。

逗子マリーナのシュロの木が立ち並びます。

さっき坂を下っている時に和賀江島がでているのが見えたので、海辺へ行って見ます。

もうすぐ日がくれるねぇ

この画像の海の真ん中の陸地が和賀江島、日本最古の人口島、まぁ人口の港って言った方が良いかな、鎌倉時代の築港堤防がまだ残っている事に驚きです。

大潮の時の干潮時に歩いて渡って、石の間に居るタコを採ったりするそうです(近くに住んでいる同僚情報)。

振り返って逗子マリーナ、昭和の高級マンションの佇まい。

秀和レジデンスに作りが良く似ています。

当時はそこかしこに秀和レジデンスがありましたからねぇ…

その秀和レジデンスは古いけど作りが堅牢なので、いまでもバリバリに使えているのがスゴイです。

逗子マリーナを過ぎると、漁師町の風情が出てきます。

ここの路地を登って、大崎公園を目指します。

こっちに流れて来た時のルーティンです。

風情満載の細路地を上がっていきます。

手汲みポンプ、現役です。

うへっ、すげー階段、とりあえず今日はこの階段から上がりましょうか。

登り切った所にある神社、眺めが良いですよ。

山の上は漁師町からまたまた一転して超高級住宅街になります、でもどことなく昭和の空気感があったりします。

高級住宅街に背を向ける様に大崎公園はあります。

日暮れ近いなぁと思っていたけど、まだ太陽が高く感じます。

ここで日暮れまで、さっき鎌倉で買ったパンでも齧ろうか…

今回鎌倉で買った手作りパン屋のパンは硬い系のパンでアゴが疲れました。

そうこうしている内に太陽が沈んできました。

太陽が沈むねぇ、さよなら、おやすみ…

太陽が沈むと、逆光で富士山が現れてきます。

今日はこんなとこかな。

っちゅう事で京急逗子駅から京急線に乗って、寝て帰りました。

おしまい