写真小話 -123ページ目

写真小話

私が撮影しながら散歩した備忘録的な記録

2022.10.8

先日、武蔵国入り口あたりの海浜を「ことにをかしき所も見えず」と評した更級日記の風景が見たかったけど湯島天神周辺散歩になっちゃったので、リトライ。

武蔵国の入り口といえば、今で言う所の市川、船橋あたりだろう、船橋の内陸から海に出て、市川あたりまで歩きたい気持ち。

船橋といったら梨とホンビノス貝なので、お土産に是非ゲットしたい。

まずは新京成線三咲駅に到着12時30分、ちょっと早く出ようとかんばったけど結局こんな時間。

三咲には通称ナシ街道があるようで、そこでまず梨を手に入れる算段。

駅より西側に歩き出すとすぐに梨の直売所がパラパラと登場する、さすが梨街道。

そのうちの一軒より「にっこり梨」という梨を購入する、でかくて重く、初っ端から荷物が増えるが仕方ない。

時間も13時近いので、梨街道の果てで見つけた街中華屋さんでラーメン&チャーハンを食し、三咲駅に戻る。

出るときは気が付かなかったけど、「ふなっしー」の記念看板ありました。

まぁ、梨街道あるからね。

再び新京成線に乗って、習志野下車、そこから歩いて薬円台公園にある郷土資料館へ。

船橋の街には画像のような団地が散見されます。

それと、梨の畑以外には畑がほとんどなくて、まぁまぁの密度で住宅が建っています。

元は大きな畑をやっていったのかなっていう農家の作りのお宅もちょいちょい見かけるけど、今は畑を手放して新しい住宅が建っているようで、庭付き一戸建ての新しい住宅街のなかに、大きい農家のお宅がポツポツある街並みです。

そんなこんなで、薬円台公園。

薬円台公園にはSLが置いてあり、その心得のありそうなご老人がお手入れしていました。

よく手入れされており、運転席も見学できます。

動かせそうなくらい綺麗だけど、さすがに動かないだろうなぁ。

ここの郷土資料館で調べたいことは2つ、船橋界隈に人が住み始めたのはいつごろか、どのあたりに住んでどんな生活だったのか、と、船橋で梨を作っているのはなぜか、である。

梨については記述がなかったので、わからずじまいだけど、古代の船橋界隈の姿はおおよそ分かりました。

およそ3万数千年前より高台へ人が住み始めて、弥生時代には低い土地で稲作も行い、バッチリ村が形成されいたみたい、飛鳥・奈良・平安時代になると、大規模な古墳が作られていたようで、教科書通りの歴史変遷を辿っていた様子。

で、特に何も記載がなかったけど飛鳥時代に滅んだ高句麗からの渡来人が関東に数多く移送されてきたので、そこからくだって数百年後の平安時代に孝標の女(たかすえのむすめ)が更級日記に記した、武蔵国に入ってすぐの「ことにをかしき所も見えず」の葦の生い茂った「こひぢ(泥)のやうにて」な浜にいた馬に乗って弓を持っていた人について、この人は武士というより、渡来人の末裔が馬に乗って狩りをしていたと考える方が普通かなと思っている、そのころはまだ武士の世の中じゃなかったから、用もないのに軍用の弓なんて持って歩かないでしょ、騎馬民族の末裔が狩りをしてたんじゃないかなー、?

まぁ、そんな古の風情が見たくて来たのですよ私。

 

薬円台公園から自衛隊の基地の脇を通り、ここら辺の古拙、二宮神社へ立ち寄る。

この神社は変わっていて、この一の鳥居を過ぎると階段で小さな谷系へ下り、小川を渡ると階段を上って本殿の前にでるようになってます。

これは本殿への登り階段

この地形が実は船橋を代表している地形で、山とか、坂が多い土地の人からみると平な土地に感じるけど、船橋は高台と低地に分かれていて、高台には水利がないため水田ができず、もっぱら水田は海側の低地のみ、高台は畑作のみとなり、かつては野菜も多く作っていただろうけど、時代が下ってより利益の出やすい果物栽培、梨栽培に集中したのだろう、土壌なんかも梨に適していたのではと、推察します。

二宮神社ってかつては寒川神社と呼ばれていたそうな。

寒川神社なら神奈川にもあるよな、相模国の一宮です、こっちは二宮になってるけど…

そして寒川神社の寒川は寒河とも書けて、そうするとサガと読める。

そこで、もとはサガだったんじゃねぇって説を言う人がいて、古い大陸の言葉で「私のもの」みたいな意味なのだそう。

で、つまり神社の起源に渡来人が絡んでんじゃないかって話。

結構にぎにぎしい二宮神社を後にして、京成本線、京成大久保駅まで歩く。

京成大久保駅前には商店街があり…

この商店街が結構長い

こういう所の商店街ってわりとシャッター街になっている事が多いけど、ここの商店街は長い上に結構栄えていて驚く。

車でちょっとの距離にららぽーととかがあるから皆そこに行っちゃいそうだけど、チャリンコで地元の商店街でお買い物、いいねぇ~地元愛。

京成大久保駅から電車に乗り、谷津で下車、「こひぢのやうにて」な浜はもうすぐである。

谷津公園内のバラ園とか、読売巨人軍発祥の地とか香ばしい物件があるけど時間がないからブッちぎって谷津干潟へ。

おおう、これが「ことにをかしき所もないこひぢ(泥)のやうにて」な浜は!

なるほど葦が生い茂っているのね(当時はセイタカアワダチソウは無かったろうけど)

今は満潮のようで、こひぢ(泥)の浜は見られないみたいだけど、1000年前に近い風景が見られました。

こういう所は例によって、各種の鷺、鵜がたくさんいます、絵になるね。

私にとっては「いとをかしき所」とまでは言わないけど、まぁまぁをかしき所かな、結構良いじゃん。

ここは谷津干潟といって、特別に干潟を保護している所、ここだけ国土計画があった為に国が所有しており、埋め立て開発を免れたのだそう。

でなきゃとっくにコンクリートの護岸だわな、残っていて良かった。

この干潟の周りは遊歩道になっていて、散歩とかランニングの人とかでにぎわってました。

だんだん日が傾いてきた、こりゃ市川なんて到底無理だわな。

急がねぇとホンビノス貝が危ういぜ。

てな訳でちょっと急いで、ホンビノス貝を売っているという直売所へ向かう。

直売所の近くの漁港で焼け具合が良い美しい日暮れとなった。

そしてホンビノス貝を買うぞと直売所へ行ってみるとー

閉まってるし!

でもホンビノス貝の自販機があるので見てみると…

全部売り切れじゃん、ていうか最初から入ってないだろ。

ちぇっ、まぁ今度(あるのか?)は船橋駅から船橋大神宮やら、馬牧やらを絡めつつ市川を目指したい。

因みに、本日購入した梨は大玉3個で1個がハズレであとの2個は甘くて食感も良くおいしかったです。

 

おしまい